近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年7月18日太秦徘徊 人情紙の如し

梅宮大社第二の朱鳥居の傍まで辿り着き、左手に小屋みたいな屋根を見掛けて正面に向かって見ると「ええ、よくもまあこんな物を置いたな!」と唸りました。

 

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普通、こんな物(関西弁で此の様な物をと表現)神社前の参道に置くか?

是れは何かというと、生鮮品等を入れて自動販売する自販機なのですが、時間帯も朝の買い物時間帯を過ぎているのか、自販機内は空きが目立ち何を売っているのか傍まで近付き中を確認しました。

 

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(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-形の不揃いのトマトを袋詰めで入れて居るね。

 

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今度は玉の小さなじゃがいもだな。

 

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最後に是れも見栄えが悪く玉の大きさの不揃いの玉葱を袋詰めにして売っているのだ!

全て100円均一で販売しているのだが、何か犯しいと思いませんか?

場所柄がどうのと言うのでは無いが、普段なら此の様な大掛かりな経費の懸かる物を置かなくても良いものですが、裏を返せば手癖の悪い者や悪しき心根の者が昨今無茶苦茶頻繁に問題を起こしているので致し方なく、この地域の農家さんが経費を寄り持ってこの自販機を設置したのだと推察出来る。

他所では多くはバラックな掘立小屋みたいな場所で適当に朝採れた農産物を適当に置いて、代金は回収箱に入れて下さいと暗黙の了解で遣り取りを行っているのですが、其れでも心貧しい輩が居て、経った100円でも惜しんでお金を払わずに持ち帰っ売たり、100円じゃなく1円、5円のみ入れて持ち帰る者も居り、観ているだけで情けなく成ります。

一度、バラエティ番組で無人販売の実態を無人録画撮りして放映して居ましたが、実際リモートで別の場所で撮影者が様子を観ていたが、本当にお金を入れずに持ち去ろうとしている場を咎めて其の者達を糺そうと詰め寄り、居直る悪態を付いて金も払わずに立ち去り、亦同じ事を繰り返す有様を撮影していました。

何も500円とか1000円以上の金額を要求して居らず、ささやかな金額で提供しているのにこの有様ですので人の心を信じられずの此の様な販売を行ったのだと思います。

今でも郊外を離れて歩いてぶらつくと無人販売者を目にしますが、何処でも心貧しき者たちの被害を受けているのだと思います。

ホント、人の人情は紙の様に薄っぺらな物に廃れ、世知辛い世の中に成っているので馬鹿正直に愚直で遣ってられないと思います。

令和3年7月18日太秦徘徊 梅宮大社第一鳥居周辺

以前、此方を訪れた時は道に迷って右往左往して裏参道から入っ来たので後で此方が表参道で在った気付き後で後悔した。

何故かと言うと、最初に見た景観の第一心象が全く違うからだ!

前回、境内に入ると至る所に目が釘付けに為る事が起こり、後でネットで調べると結構有名な事に成って居り、其れ目当てで訪れる参拝者も居ると綴られて居ました。

其の事は、モットあとに触れますが、携帯に入るまでに結構興味を引く事ばかり起きて其の事は次回投稿します。

 

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幹線道路から急に脇道入ると、此の光景を目にする事が出来ます。

よく宅配車が駐車している場面に出くわします。

 

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第一の石鳥居が視野に収まる位置まで近付きました。

 

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神社へ参詣すると、必ず確認する物が有ります。

其れは社表号と扁額です。

社表号は、神社の格付けが竿石に刻まれており、神社の神格基準となる証明書みたいな物でして、梅宮大社の神格は、官幣即ち朝廷の官位に当たり、上から3番目の格付けに当る神社を証明しており、何処なのかと指すと官弊中社として格付けしており、最上が天照大神を祀る神宮え二番目が朝廷が認めた最上の社格が官弊大社でして、神社の規模も加味されて社格がにんていされています。

直ぐ近くの桂川を超えると松尾大社が在り、其処の社格は正に最上の官弊大社でして、梅宮大社は規模が劣るので中社の社格で調整されたみたいですが、後で気付いた事なのですが、梅宮も松尾も酒の神様を崇めていますが、調べると全然違う神様だったので松尾は祭政の政を司っている神でして、一方梅宮は祭政の祭を司っている神様だと思います。

 

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さあ第二の赤鳥居まで伺うと、直ぐ左横に目が点に為る物を見付けて、其の物を観察した事を次回の投稿とします。

令和3年5月26日阪急沿線西京極駅から西院駅周辺をブラ歩き 西院春日神社

太秦南側の古墳を訪れようとして三菱場工業の工場地辺りまで来たが工場に道を阻まれ、致し方なくコース変更を行って京都外国語大学の敷地境界線を潜り抜けて西院のイオンショッピングセンターへ訪れ、最後に阪急西院駅から帰路に着こうとして駅近辺まで訪れて神社へ参詣しました。

表題の通り、奈良春日大社から御霊を勧請し、江戸中期の朝廷(当時の天皇の求めで)の要請で藤原氏氏神をこの地へ引っ張ってきた経緯で此の地に神社が建立されたみたいです。

 

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西院春日神社の御祭神は、、遥か東の地に根ざす鹿島神宮から鹿の背に乗ってまほろばの都奈良へ訪れた武神建御雷神(たけみかづちのかみ)で、出雲の国の守護神大国主命から国譲りの儀に使者として遣わさた天津神の一柱で有名な神です。

 

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鳥居を潜る前に一礼し、中へ訪れてみると小ぢんまりした手水舎があり、薪能が出来る舞殿が控えており、従来舞殿が在るのだが其処も先に訪れた松尾大社三宮衣手神社と同じく床のない屋根だけの舞殿でした。

 

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此のお気にも小さな社が有り、末社として幾柱の神が祀られて居ます。

 

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還来大神と弁財天女が祀られて居ます。

弁天さんは、馴染みの在る七福神の一柱の神としてよく知られていますが還来の神とは、下記の由来で今も西院では信仰されて神さんです。

 

西院春日神社の境内にある神社。祭神は淳和天皇の皇后正子と藤原旅子、橘嘉智子貞観十六年(八七四)四月十九日、皇后の御殿が火災にみまわれた折、皇后は逃げ惑う女官たちに対して毅然とし、自ら避難のご指示をされました。女官たちは、皇后のお言葉に心を鎮め、仮御殿に避難をしたところ皇后の御殿のみが焼失をまぬがれ、四月二十七日、皇后は無事晴れやかにお還りになりました。後世、皇后のご功績をたたえて、元にもどり還り来る「還来の大神」として崇められ、旅行・道中の安全守護とし、現在でも天皇皇后両陛下の海外行幸啓には両陛下や供奉員の安全を祈願されます。

 

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拝殿で拝礼を済ませると、急いで社務所へ向かい御朱印授与で呼び鈴を押して暫く待つと艶やかな髪飾りを前髪に装飾した見た目25歳から30代前半の芸子さんみたいな細面のべっぴんさんと表現出来る巫女さんが対応して戴いた。

御朱印帳を受け取ると気に為っていた髪飾りの事を巫女さんに然りげ無く尋ねると、巫女がこう答えました。

「藤原の藤の花です」とあっさり答えられ、此方もあっけらかんとしました。(笑)

話は少し脱線しますが、今は藤原の姓は日本中津々裏々有触れた姓だが、元は経った一つしか無かった特別な氏姓でして、氏姓の起こりは聖徳太子以降の時代に遡り、時の天皇は女帝で補佐をしているの帝の甥でした。

其の甥が、現在の日本まで藤原姓創始の張本人でして、名乗る事を許されたのが初代藤原氏の開祖中臣鎌足で大織冠を授けられる中大兄皇子(後の天智天皇)の功臣です。

即ち、藤原姓を授けたのが此の中大兄皇子元い天智天皇が、中臣鎌足が臨終の床に臥せっている時に行幸して枕元で長年の功に報いて一代?氏姓藤原を与えた事に撚り、朝廷で絶大な権勢をを誇る大貴族として押し上げた開祖ですが、其の遺徳を受け継いで更に磐石な物として藤原氏の土台を築いたのが嫡子の不比等です。

此の二人の親子無しで今の藤原氏を語る事が出来ません。

古代中華第三王朝を商(後に殷と呼ばれる)の開祖湯王(成湯=成すべきことを為して功を得た湯王)が臨終間際に王族と功臣を集め滔々として言い残した言葉が、「開基の功より守成の勇」と言う遺訓を残してあの世に旅立った湯王。

何が言いたいと申しますと、何事も最初に事を起こして道を開く事は難しいが、其の成功を子々孫々に伝えて受け継がせる事は更に以っと難しいと湯王が臨終に臨んで家族(王族)と臣下に遺訓として残しました。

其れと同じ事を藤原氏創始者と二代目が政敵蘇我入鹿を暗殺して返り血を体に浴び、手を血に染めた鎌足

目立つ事を極力避けて嫡子不比等は、直接を手を降さずに謀略と奸計を用いて政敵を葬り去って地盤を固めて磐石な物にし、決して目立たずにNo.2に徹して影で政局を動かしたのが藤原氏創始者と継承者の功で、今の藤原氏の繁栄が有ります。

且つ権力の影に影響力を以て数多くの邪魔者の政敵を葬って追随を許さなかったのが藤原氏で、血塗られた一族です。

其の藤原氏武家平氏源氏の台頭で力が削がれ、清盛が朝廷を牛耳る原因と成った二つの大乱で公家は公家同士で抗争し武家武家で身内で血で血を洗う争いで地位を確立して公家は没落して行った。

 

その時の張本人悪左府藤原頼長の有り様が正に悪辣で、其の情け容赦内遣様が全て自分に跳ね返り墓穴を掘って酷い最後を迎え、其の事で藤原氏藤原氏姓を名乗らずに別姓を名乗る選択を迫られた。

其れが後の近衛氏(が本家、分家が鷹司)と九条氏(が本家、分家が二条家一条家)に分かれ、五摂家(摂政関白の家柄)が極位極官を極めた藤原家本流として隠然として朝廷で発言力を残している氏族(北家流藤原氏)です。

何にしろ血塗られた氏族で疑う事間違いなしで、自覚がないのなら最低最悪の極みの一族です。

 

是れにて全ての工程を終えて、阪急西院駅から乗車して帰路に着きました。

暫くはネタがないのでマスコミで得た情報に基づいて、自分なりに意見感想を交えて投稿して参りますので悪しからず。

令和3年5月26日阪急沿線西京極駅から西院駅周辺をブラ歩き 松尾大社末社衣手神社

私が26日に西京極周辺から西院まで巡り歩いた翌日、フジテレビ系列関西テレビ(関西のローカル局)で朝10時くらいから放映している「よ~いドン!」と言う番組で西京極周辺を上方落語噺家月亭八光と言う芸人がルポライターとして私が歩いた途中までを放映して居たので偶然過ぎて驚いています。

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放映開始から最初に「となりの人間国宝さん」と言うルポから番組が始まり、1週間月曜日火曜日担当が円広志、水曜日担当が織田信成、木曜日金曜日担当が月亭八光と1週間のスケジュールが確立されており、訪れる場所は其の都度其の都度各担当者が被らない様に畿内2府4県をバラバラでチョイスして訪れて其の地域の話題人物に突撃ルポを敢行して身の上は無しよもやま話を聞き出し、心底感銘して其の人の従事している職業が認められていると認めたら、其の場で「人間国宝」の認定書手渡す言う内容でして、私も京都で2箇所この「人間国宝」認定書を拝ませて戴いており、其れがまあ大原三千院の参道で漬物屋を営む「しば久」さんの店頭で額縁に入れて掛けている所を初めて覗い、其処の主に根掘り葉掘りと取材の話を聞いた事を今でも覚えて居ます。

其の日取材は、私が巡り歩いた天神川に沿って八光氏は歩き、所々歩いて刺繍専門に商いを行っている会社に突撃取材を敢行し、刺繍店の業務内容から私生活まで根掘り葉掘りと聞き及び、知人の借金の保証人に成った事で仕事と生活環境が激変して、近頃やっと億単位の借金返済に目処を付けたと感慨込めてコメントを述べて居た。

所が場所は少し違うが、私が伺った神社に向かう途中に大きな刺繍専門の会社が在り、地図にも目で追う事が出来る程ハッキリと所在確認出来、丁度其の刺繍専門店の真裏辺りに私が此の日の旅の安全を祈願する神社が偶然在りました。

 

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刺繍店の裏側を回り、裏筋を歩くと鳥居前まで辿り着きました。

境内に入り前に必ず行う事は、神社の鳥井の形から扁額を伺い、其れから社表号を伺ってから鳥居を潜る前に何方かの端に寄って一礼を行ってから参内します。

其の行為にどれも意味を為しており、殆どの方は知らない人が多いですが、知ってからは身を引き締めてお参りする姿勢が正されます。

社表号を伺いますと、官弊大社の字の所が故意にセメントなんかで埋め込まれており、其の行為に何の意味が有るのか理解に苦しみましたが、其れは脇に置いて更に全体を見回すと此方の衣手神社はお酒の神様松尾さまを信奉している松尾大社末社で三宮の社格ですよと読取る事が出来ます。

 

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手水舎へ向かうと、手水池には水が張られておらず、手水口の造形を見ると目出度い鶴は千年亀は萬年のあの亀が模倣されて居り、亀にもの色々と造形があると知りました。

 

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京都の神社では、拝殿前にはほとんど神社には舞殿が設けられて居ますが、此方は屋根だけで地べたで神楽を舞う様に成って居る様で、少し違和感を感じました。

 

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境内を見回すと張り紙が貼り付けている場所を見咎め、其の場所へ近付くと此の様な内容が綴られており、何が言いたいかと掻い摘んで申し上げますと、此方の宝物殿?宝庫には毎年五月上旬に行われる松尾大社神幸祭(おいで)・還幸祭(おかえり)で担ぎ出される神輿が収納されております。

私も山吹が咲き誇る五月上旬に京都のブロ友さんの情報で祭りに寄せた事が在り、松尾大社周辺の末社摂社から数基神輿が参集し、決められた時間が来たら次々と船渡御神事神幸祭(おいで)に向かって桂川まで神輿を担ぎ、担ぎ手が腰辺りまで浸かって身を清める様にして神事を刊行されます。

今度は還幸祭(おかえり)は下記の通りです。

還幸祭には、三ヶ所の御旅所に駐輦されていた神輿と月読社の唐櫃とが、西寺跡の「旭の杜」に集合し、ここで古例による西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典をした後、列を整えて 途中朱雀御旅所に立ち寄り、ここでも祭典、次いで七条通りを西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道を経て、松尾橋を渡り、本社に還御されます。この還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。賀茂両社の「葵祭」は観光名物としてあまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い当社や伏見稲荷大社にも実は同様の伝統が存在しています。この神幸祭還幸祭には、いずれも吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の役を奉仕する例で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。

 

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此方は、還幸祭が始まる前から社を退出されるまでの光景を撮影した映像ですが、以前私がヤフブロで投稿した映像資料が最早手元に無いので札した画像に近い画像をチョイスして投稿させて頂きました。
 

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今度は、還幸祭(おかえり)の様子を撮影した映像を拝借させて頂きましたが、京都三大祭り以外でも歴史と伝統を重んじる祭りが残っていると言う事は喜ばしい事の一語に尽きますね。
 

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表の鳥居には、衣手神社名が強調されて無かったので、ハッキリと衣手神社で有る確認を求めて隈なく見回り、やっと確認する事が出来ました。
此方へ退出して、今度は古墳を廻りを行おうと移動したが、三菱重工業の広大な敷地に阻まれて移動を断念し、此の続きは次回に取っておいて帰路に向かうので今度は確認したい場所へ向かおうとしたら巨大キャンパスを要する学校を外から伺いました。
次回は、学校で有って学校でない場所を投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 平安神宮④左近の櫻右近の橘

神前結婚式を挙げたカップルを撮影した後は、本来の目的に戻って拝殿に向かって歩き拝礼する為に近付くとタイトル通り拝殿の左右に櫻と橘が植えられており、櫻ばかりに人が取り囲む様にして或者はスマホを片手に写し、又或者はカメラを向けて撮影しているのです。

 

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えらい亦拝殿前の左右で人の偏りがあるなぁ?

 

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従来皇居内に在る紫宸殿に慣い、天照大神と歴代天皇の御霊を祀る拝殿の左右に櫻と橘を植えて心安らかにすると言う意味合いだと私は思います。

左右に植えている事に何らは意味は為さず、昔は天皇が梅の木を植えていた記述が在ったので根拠は無いと思います。

 

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左近の櫻に目を奪われていたが、今度は右近の橘に目を向けると、何やら橘の周りに鉄柵で囲んで只事では内容な雰囲気を醸し出し、何故と言う疑問が湧いてくるのです。

 

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もう一度櫻に目を遣り、左右を見比べると是れでは誰も橘に目も来れんでしょう!

元来、寒い時分には実を付けているにだが既に季節替わりして居るので望むべくも無く比較対象は出来ませんが、鉄柵は無いでしょう?

有るとしたら植えられている橘に問題が在り、木に何らかの支障が生じて倒木しない様に手立てを加える為に一時的に囲っているのだと思いますね。

 

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ホントむさくるしく、雅も趣も在ったもんじゃない。

早く手直して、青々した従来の姿を見せて欲しい物ですね。

此処でコロナ退散を祈って退出して、東山の蹴上げクランクインには行かずに一路昼食と帰路に付くので神宮前の一本径神宮道を通って名所や隠れスポットを巡って帰路に着く予定ですが、東山地区の要所と言うべき休憩所兼物品販売を行っているお店の様子を投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 平安神宮③神前結婚式

應天門を潜ると広々とした境内が広がり、其の中で一点一際目を引く一団が居るので違和感を覚え、良く見ると稀に観る事が出来無い神前結婚式を挙げたカップルが祝う人たちに囲まれ写真撮影を行なっているのです。

 

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ええ、思いました。

良く見ると、撮影するつもりが逆撮影されて居ました。(笑)

 

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新郎新婦を綺麗に撮ろうと映像コーディネーターみたいな者が、新婦の髪を整えて居る所を垣間見る事が出来ました。

 

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綺麗に整えられて新婦の晴れやかな笑顔が見えて居ます。

 

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周りから祝福され良く晴れた空の下で神前での婚儀が行われた事は、訪れる者たちに眼福と旅路の吉事を祈っています。

私が目の前で神前結婚式を伺うのは是れで五度目でして、初めて伺ったのは今から5年前でして、其の日に上賀茂神社下鴨神社、八坂神社と参詣する度に神前で新郎新婦の姿を拝見する事三組のカップル吉事を垣間見る事と成り、其の光景を当時のブログサイト(Yahooブログ)に投稿した事も有り、是れも何かの縁だと思い有り難くお祝いさせて頂きました。

次回は、拝殿に佇む或物を投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 平安神宮②門前

参道を歩いて参道と應天門の間に道路が1本挟み号待ちで待っていると、車止めの柱の根元に数羽の鳩が取り外しが出来る車止めの根元に溜まった雨水を嘴を付けて飲んでいるではないか。

こんな光景は、初めて見るもので斬新で癒されるますね!

 

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f:id:kinki-buraaruki:20210426165522j:plain常日頃、鳥害に遭っているので憎からずと思っているが、鳩も一所懸命生きているのだから間近で見ていると可愛い物だと思う事しきりです。

 

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由緒在る歴史遺産の門には、立派な扁額が掲げられて居ます。

 

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是れも亦菊の紋所を表した大提灯。

是れも大きな寺社の門に行けば、伺う事が出来る光景です。

次回は、運がなかったらとても出会う事が出来無い光景を目にする事が出来たので投稿致します。