令和3年5月26日阪急沿線西京極駅から西院駅周辺をブラ歩き 松尾大社末社衣手神社
私が26日に西京極周辺から西院まで巡り歩いた翌日、フジテレビ系列関西テレビ(関西のローカル局)で朝10時くらいから放映している「よ~いドン!」と言う番組で西京極周辺を上方落語の噺家月亭八光と言う芸人がルポライターとして私が歩いた途中までを放映して居たので偶然過ぎて驚いています。
放映開始から最初に「となりの人間国宝さん」と言うルポから番組が始まり、1週間月曜日火曜日担当が円広志、水曜日担当が織田信成、木曜日金曜日担当が月亭八光と1週間のスケジュールが確立されており、訪れる場所は其の都度其の都度各担当者が被らない様に畿内2府4県をバラバラでチョイスして訪れて其の地域の話題人物に突撃ルポを敢行して身の上は無しよもやま話を聞き出し、心底感銘して其の人の従事している職業が認められていると認めたら、其の場で「人間国宝」の認定書手渡す言う内容でして、私も京都で2箇所この「人間国宝」認定書を拝ませて戴いており、其れがまあ大原三千院の参道で漬物屋を営む「しば久」さんの店頭で額縁に入れて掛けている所を初めて覗い、其処の主に根掘り葉掘りと取材の話を聞いた事を今でも覚えて居ます。
其の日取材は、私が巡り歩いた天神川に沿って八光氏は歩き、所々歩いて刺繍専門に商いを行っている会社に突撃取材を敢行し、刺繍店の業務内容から私生活まで根掘り葉掘りと聞き及び、知人の借金の保証人に成った事で仕事と生活環境が激変して、近頃やっと億単位の借金返済に目処を付けたと感慨込めてコメントを述べて居た。
所が場所は少し違うが、私が伺った神社に向かう途中に大きな刺繍専門の会社が在り、地図にも目で追う事が出来る程ハッキリと所在確認出来、丁度其の刺繍専門店の真裏辺りに私が此の日の旅の安全を祈願する神社が偶然在りました。
刺繍店の裏側を回り、裏筋を歩くと鳥居前まで辿り着きました。
境内に入り前に必ず行う事は、神社の鳥井の形から扁額を伺い、其れから社表号を伺ってから鳥居を潜る前に何方かの端に寄って一礼を行ってから参内します。
其の行為にどれも意味を為しており、殆どの方は知らない人が多いですが、知ってからは身を引き締めてお参りする姿勢が正されます。
社表号を伺いますと、官弊大社の字の所が故意にセメントなんかで埋め込まれており、其の行為に何の意味が有るのか理解に苦しみましたが、其れは脇に置いて更に全体を見回すと此方の衣手神社はお酒の神様松尾さまを信奉している松尾大社の末社で三宮の社格ですよと読取る事が出来ます。
手水舎へ向かうと、手水池には水が張られておらず、手水口の造形を見ると目出度い鶴は千年亀は萬年のあの亀が模倣されて居り、亀にもの色々と造形があると知りました。
京都の神社では、拝殿前にはほとんど神社には舞殿が設けられて居ますが、此方は屋根だけで地べたで神楽を舞う様に成って居る様で、少し違和感を感じました。
境内を見回すと張り紙が貼り付けている場所を見咎め、其の場所へ近付くと此の様な内容が綴られており、何が言いたいかと掻い摘んで申し上げますと、此方の宝物殿?宝庫には毎年五月上旬に行われる松尾大社の神幸祭(おいで)・還幸祭(おかえり)で担ぎ出される神輿が収納されております。
私も山吹が咲き誇る五月上旬に京都のブロ友さんの情報で祭りに寄せた事が在り、松尾大社周辺の末社摂社から数基神輿が参集し、決められた時間が来たら次々と船渡御神事神幸祭(おいで)に向かって桂川まで神輿を担ぎ、担ぎ手が腰辺りまで浸かって身を清める様にして神事を刊行されます。
今度は還幸祭(おかえり)は下記の通りです。
還幸祭には、三ヶ所の御旅所に駐輦されていた神輿と月読社の唐櫃とが、西寺跡の「旭の杜」に集合し、ここで古例による西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典をした後、列を整えて 途中朱雀御旅所に立ち寄り、ここでも祭典、次いで七条通りを西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道を経て、松尾橋を渡り、本社に還御されます。この還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。賀茂両社の「葵祭」は観光名物としてあまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い当社や伏見稲荷大社にも実は同様の伝統が存在しています。この神幸祭・還幸祭には、いずれも吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の役を奉仕する例で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。