近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

ホントに皮肉だね?

3週間前に日本全国の桜開花予想を立てましたが、一番早く咲くと予想れた東京都が、昨日ヤっと開花宣言が為されて気象予報士の予想を大きく裏切り、国民から嘲笑される有様で悪びれずにテレビに出て続けて居るのですね?(笑) 私も予想に期待して逸る心を抑えて開花を待ち続けたが一向に目指す景勝地の開花の便りが届いて来ないのです。 皮肉にも通勤の足となる地元電鉄の高架下に早咲きの桜が早く咲き、今日を休みで買い出しの帰りに自治永世都市堺の環濠周りに満開の桜花が咲き乱れて居るのですよ?! 私が幼少から40年間住んだ環濠内は嘗て繁栄した豪商達が住んで大きな商いを起こして自治で地域を治める都市となり、第六天魔王織田信長に恫喝されて自治権を放棄した名残が今も色濃く残って居まして住んでいる近くに名刹臨済宗南宗寺が荒廃して居ても名を残して存在しており、其の南宗寺の周りを環濠が囲んで桜が林立して植樹されています。 其の環濠は、南北2Km東西1Kmの小さい区域でして、其の場所で繁栄を極めた所なのです。 一番儲けたのが武器でして、種子島伝来の長筒で鉄砲と呼ばれる最強の武器を独自で手掛けて戦国武将達に売付け、其の多くを織田信長が買い占めて天下布武を唱えたが、余りの苛烈さで臣下が離心して裏切る者も沢山出て最後は明智光秀の下克上で京都本能寺で自刃して果てたと言われているが亡骸は見つからないミステリーとして今現在も議論されています。 最後のプランナーとして戦国最後の締めとして徳川家康が天下を治め、戦の無い世の中を作り、武器の要らない世の中に成ったので鉄砲は無用の長物と成って鉄砲鍛冶は刀鍛冶として職種を変えて今の堺の商業として発展しています。 包丁製作を垣間見るツアーも旅行一環として組み込まれており、製作工程を観る事が出来ます。 私の職場の近くが、鉄砲鍛冶が盛んな街に有り、其処が嘗ての反映した証として町名として残って居ます。