近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

薩摩藩縁の旅館寺田屋

今回の日帰り旅の第一の目的が、此方を訪れて中に入って見聞したかったのですが、最初に選んで訪れた長建寺の売僧(住職)の対応が余りにも酷過ぎて、伏見界隈に取って非常極まりない悪印象を植付けられました。

あの売僧の暗に言う「何もせずに向こうから金(人)が遣ってくる」と言うニュアンスで畳み掛ける物言いが余りにも腹が立ち傲岸不遜なので見るところ訪れるところ全てがお金を背負った鴨が遣ってきたと思いが脳裏に浮かんだので旅館に入らずに外見だけ伺って退散しました。

 

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外観を観て結構横幅が短いのだなあと思いました。

正面には、寺田屋の名前を入れた長提灯を隣接する際に吊るし、今度は視線を玄関入口に向けると寺田屋 坂本龍馬と名前を入れて掛けているので何と不遜で金儲けの為なら売名行為も厭わない非常識な所業だと思い、余計にお金に汚い土地柄だと思いました。

此の寺田屋は、薩摩藩の定宿として営んできたが、或事が起きて悪いイメージが付き纏って居ましたが、西郷吉之助の伝で坂本龍馬とお竜が寝泊りする様になり、後々坂本龍馬の名前で商売する様に成ったのだと推察します。

 

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寺田屋の右手に家一件分の敷地が庭園みたいに設けられ寺田屋の勝手口も其処に有って玄関から参観して勝手口から出口と成っているので其処から出て庭園を散策するという具合に成って居り、流石に其の方から目が届いている可能性も有って奥に入ることを躊躇いました。

 

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此の看板の文言通り、寺田屋薩摩藩の常宿故に悲劇が引き起こされました。

下記の記述が通りです。

 

薩摩藩志士粛清事件

藩兵千名を率い上洛した久光は日本中の尊王派の希望をその身に背負っていた。しかし久光にはこの当時は倒幕の意志はなく、公武合体がその路線であった。また久光は秩序を重んじる厳しい性格で、すでに西郷隆盛村田新八森山新蔵を捕縛して大坂から帰藩させるように命じて粛清しており、京都の志士の思惑とは全く趣を異にした考えの持ち主であった。それで4月13日に伏見に到着した久光は、16日に入京し、朝廷より志士始末の命を授かる。

この展開に驚愕した薩摩藩の過激派は、憂国の念から憤激し、有馬新七柴山愛次郎橋口壮介らは、諸藩の尊王派志士、真木和泉田中河内介らと共謀して、関白九条尚忠京都所司代酒井忠義を襲撃してその首を持って久光に奉じることで、無理矢理にでも蜂起を促すということに決した。この襲撃の前に、根城としていた薩摩藩の二十八番長屋から出て、伏見の船宿寺田屋に集まることを計画していたが、当時寺田屋薩摩藩の定宿であり、このような謀議に関しての集結場所としては格好の場所だったようである。

志士暴発の噂を聞いていた久光は、側近の大久保一蔵海江田武次奈良原喜左衛門を次々に派遣して説得を命じ、藩士を抑えようと試みたが失敗した。23日、薩摩藩邸では永田佐一郎が翻意し、決起を止めようとしたが止められなかったために切腹した。これによって計画の決行日が迫ったことを知った在番役高崎左太郎藤井良節(工藤左門)の二人は急ぎ京都に注進した。久光は驚き、出奔藩士を藩邸に呼び戻して自ら勅旨と今後の方針を説明して説得しようと考えたが、一方で従わぬ場合には上意討ちもあると言い含めて、奈良原喜八郎大山格之助道島五郎兵衛鈴木勇右衛門鈴木昌之助山口金之進江夏仲左衛門森岡善助の特に剣術に優れた藩士8名を鎮撫使に選び、派遣することにした。奈良原、道島、江夏、森岡本街道を、大山、鈴木、山口が竹田街道を進んだ。後から上床源助が志願して加わり、計9名となった。

 

此の事件を詳しくドラマにしたのが、西田敏行鹿賀丈史主演のNHK大河ドラマ翔ぶが如く」でして、言う事を聞かない志士を粛清する為に赴いたのが鹿児島県初代知藩事大山格之助で演じていたのが蟹江敬三でした。

本当に凄惨極まりない同士打ちが此の寺田屋で行われ、更に其の4年後伏見奉行所指揮で坂本龍馬(佐藤浩市が演じていました)を襲撃した事件が行われた事は、歴史ファン必見の場面だと思います。

其の様な事を思いながら此処で中書島周辺を見納めたので昼食の為に京阪伏見桃山駅まで徒歩で歩いていると歴史を感じさせる古道が形を変えて現代の車両が走行する道として案内されていたので景観を撮影しました。

次回の投稿は、歴史の道を投稿します。