近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

頼山陽水明処

先の投稿で幕末の勤王志士に関する記事を投稿しますと謳いましたが、此の人物と場所は直接明治維新に関わりは無いが影響を与える著書「日本外史」成る物を執筆して時の幕府要人老中松平定信に献上した事が、後の勤皇思想に多大な影響を与え、山陽の子息で自身も儒学者で三男で在る頼三樹三郎が時の思想を操作し、勤王気分を盛り上げて大老井伊直弼から危険視されて小伝馬町橋本左内らと共に斬首刑に処せられました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20211104090913j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20211104090923j:plain

此の石柱は、以前紹介した京都市内をチェーン展開した生鮮スーパーフレスコの道路を挟んで前に建てられて居るの物で、目に入った途端此の近辺に有るのだと思いましたが、食事処を見付けるのに躍起に成っていたので頭の隅から消し去られて居ましたが、右往左往して間違って路地に入り込んで此の石柱の案内する場所に出てしまったみたいでして、此処まで来たので序でに見聞しようと訪れました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20211104093032j:plain

此方が路地に面した玄関口に辺り、玄関をまじまじ見ると色々と情報が見え隠れして居ますね。

 

f:id:kinki-buraaruki:20211104093700j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20211104093712j:plain

玄関前には、丸太町通に在った石柱と同じ様な高さの石柱が建てられ、玄関の鑑札を伺うと頼山陽の旧宅山水処を保存する者たちが財団化して旧宅を保存活動に勤しんで居る様だ。

 

f:id:kinki-buraaruki:20211104094102j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20211104094124j:plain

玄関の戸の格子から中を覗くと先には本当に山水処と呼ばれている旧宅が在り、平日は一般解放されていないみたいで閉ざされた儘に成って居ます。

此処で数分時間を使い更に奥に行くと、関西私大では四本の指に入る有名私大に関する遺構が在ったとされる記念碑を偶然見付けました。

次回の投稿は、偶然見付けた或る教育人に関する場所を紹介します。