頼山陽水明処から少し歩くと此処にも興味を惹く物を見出しました。
こんな住宅地の場所で、亦此の様な場所を見付けるとは偶然にも偶然過ぎるよ!
此処は、東京大学卒の中川小十郎氏なる人物が創始した関西では、関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)と呼ばれる一流私大の立命館大学が最初に学び舎が置かれた跡地です。
この場所は、明治の元勲西園寺公望も関わりがあり、中川小十郎の実家は西南戦争時に西園寺公望に仕えた時から縁を結び、西園寺公望から薫陶を受け、大学を開いた時は支援も受けたようです。
現在は、洛西の衣笠キャンパスが有名ですが、中京区に在る朱雀に本来のキャンパスが在ります。
中川小十郎に関する紹介を下記に記します。
中川小十郎
中川 小十郎(なかがわ こじゅうろう、1866年2月18日(慶応2年1月4日) - 1944年(昭和19年)10月7日)は、明治・大正・昭和時代の日本の政治家(貴族院議員等)で、官僚(文部省官僚等)、教育者(京都法政学校〈現・立命館大学〉創立者等)、実業家でもある。丹波国南桑田郡馬路村(現・京都府亀岡市馬路町)生まれ。著名な親族としては、息子の流政之(彫刻家)と孫の中川祐夫(刑法学者)がいる。文人としての筆名は非常に多く、「蓑笠亭主人」「青梅学人」「青梅生」「青山隠士」「竹筆老夫」「口羽山人」「白雲道人」「白雲老人」「藤の舎主人」「弘川東一郎」「竹軒亭」「磊磊居士」などがある。
詳しく知りたい方は、ウィキペディアで検索して下さい。
京都には、旧帝国大学として位置付けられた国立京都大学が下鴨神社の近くに在り、少し離れた京都御所近くに関西を代表する同社大学と肩を並べる大学が此方の場所で興ったとは全くや知りませんでした。
この辻を歩いていると、歴史を感じる此の様な物も遇線目にする事が出来ました。
次回の投稿は、現在では余り目にする事が出来ない物を紹介します。