令和2年12月12日JR琵琶湖線安土巡礼
皆様、新年あけましておめでとうございます。
昨年は、コロナウィルスが蔓延して、行動が制限されて余り畿内の方々を巡る機会が恵まれませんでした。
9月に入ってからGoToトラベルの発令で少し行動に自由に成り京都中心に阪神地区等を巡り歩き、最後に映画「火天の城」の安土城址から彦根を中継して賎ヶ岳戦場跡まで巡る日帰り旅を勘案して実行しましたが、机上の空論に終始しました。
実際に安土城址が在る安土駅に降り立ち、先に神社寺院から巡って残り半分の予定は安土城址に行き、彦根城経由で賎ヶ岳まで赴く予定でしたが、目的の3割位しか計画は進みませんでした。
いざ行動に移すと、車社会の土地で徒歩移動の限界を思い知る事と成り本当に命の洗濯をさせらる事と成り帰りは車両内グッタリと成って帰路に着きました。
されど多くの収穫も有り、全く無意味ではなく疲労感は有ったが有意義な一日を過ごす事が出来まして満足でした。
安土と言えば「天下布武」を唱えた織田信長のイメージが付きまといますが、実際のところは滋賀県=近江國は昔から米所と知られたお米が沢山取れる裕福な土地で近江源氏が拠点を置いた土地でした。
近江源氏と言えば源頼朝を思い出しますが、全然別個の氏族でして、源氏其の物姓は当時の天皇の皇子が臣籍降下して源氏を名乗ったので源氏性が二十一流も有り頭に天皇の諡号を付けなければ何処から派生した氏族なのか断定出来ない状況です。
武家の棟梁の頂点は征夷大将軍・右近大将兼権大納言の官位を世襲する様に成ったのが源頼朝からですが、殆どが清和天皇から興った源氏です。
近江源氏は、清和天皇から3代後の宇多天皇から派生した源氏でして、主に近江國(現在の滋賀県)に拠点を置いて居る源氏です。
源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があり、宇多源氏はそのうちの一つで宇多天皇から分かれた氏族である。宇多天皇の皇子のうち、第8皇子敦実親王の3男・雅信王が、承平6年(936年)に臣籍降下して源朝臣の姓を賜い源雅信と称した。公家華族としては、庭田家(羽林家)・綾小路家(羽林家)・五辻家(半家)・大原家(羽林家)・慈光寺家(半家)などが繁栄し、武家としては、源雅信の4男、源扶義の子孫の佐々木氏は、近江国を本貫として繁栄し、嫡流は六角氏、京極氏と分流して近江源氏と称されて繁栄した。
また、佐々木秀義の5男、佐々木義清が承久の乱以降、隠岐国・出雲国の両国を賜い、彼地に下向して繁栄し出雲源氏と呼ばれる武士団を形成した。
私はこの方に、焦点を当てました。
この方は、NHK大河ドラマ「太平記」では俳優陣内孝則が演じドラマに於いて重要な立ち位置を務めた室町幕府初代将軍足利尊氏終生の盟友と成った婆娑羅(バサラ)大名佐々木判官高氏(佐々木道誉)です。