近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和2年12月12日JR琵琶湖線安土巡礼 六角氏居城観音寺城址跡

国道に沿って歩いていると交差点の在る信号で一旦左折し、近道は無いかと辺りを伺うと、観音寺城址の看板が見えたので田んぼの道を歩いて近くまで立ち寄りました。

 

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100m位先から観音寺城跡と字が見えたので、フラフラと何かに導かれる様に傍まで近付きました。

 

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此処まで来たので中を覗くと、何と中は霊園に成って居り、近郊住民の霊園と成って居り、場違いな場所に来たので手を合わせ即座に立ち去りました。

城址が在るのは、この山の頂上辺りに在るみたいで、其れを確認したのは西国観音巡礼札所観音正寺参道口で観音寺城址が本当に在った事が考古学調査で判明し、一躍脚光を浴びて正確な場所も判明しました。

 

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此の場所に至ったのは、参道口が解らなかったので地元の方に頭を下げて道を請いまして天満宮が有るのでもう少し歩くと城址跡が在ると教えられ、其処から直ぐ参道が判り険しい石段を上がる事に為ろうとは思いも拠りませんでした。

 

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天満宮を上がる階段口辺りに観音寺城址跡と近隣の案内地図が設置されていたので確認ついでに写し取りしました。

此の地図を伺うと、稜線ばかりで山また山で是れから先の事が思いやられます。

 

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霊場参道から見晴らしの良い場所が有り、其処から見える城址が在った場所に幟が数本立てられて居ました。

此の城?城と言うよりは砦に近い山城みたいで、此処を治めていたのは元は同じ佐々木京極氏で、鎌倉から動乱の時代を経て室町時代半ばまで佐々木六角氏が治める事に成り、観音寺城を巡り数度の戦が起こりました。

其れも是れも六角氏が総領家ぶって一族連枝全てを家臣にしようと目論んだ為、一族三家とその他の分家筋も従わず、立場が逆転したのが鎌倉幕府倒幕から南北朝樹立の動乱期に足利尊氏を全源氏の棟梁として推戴して結束した事で近江源氏のもう一家京極氏(佐々木判官高氏)が足利尊氏の信頼を得、六角氏を差し置いて佐々木一統の盟主と成った。

次回の投稿は、命の洗濯をした観音霊観音正寺を投稿します。