近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

毎回京都に遊びに行くのですが

私が京都に散策に行きだしたのは、49歳の時に通勤労災で2ヶ月半病院に入院した時に1冊の情報機関誌「サライ」に出会ってからでして、退屈な入院期間中に暇を潰す為に通院客ロビーで置いてある場所で本を読んで時間を潰す事で余暇を楽しんでいました。 「サライ」で取り上げれて居たのが洛北の古刹「三千院」でして、退院してリハビリを兼ねて訪れたのがのめり込む要因と成りました。 京都は聖武天皇長岡京遷都で失敗して更に遷都を重ねて移り住んだのが平安京でして、仏教文化と公家文化で彩られ、其の後に公家を差し置いて平清盛足利尊氏が京都を拠点にして活動したので武家色も色濃く残り、西は嵐山から東は東山まで足利幕府歴代将軍が建立した寺院が数多く在り、其の筆頭が尊氏が後醍醐天皇の御霊を慰霊する為に建立した天龍寺と尊氏の菩提寺等持院が初めに建てられ、後に義詮・義満・義政が建立した寺院が有名に成り、従来在った寺院と並んで世に名を残しました。 更に吉備真備が持ち帰った陰陽道が発展して神道が根付き、其処に古事記等の皇室を崇める神社等が京都の至る所に鎮座して街の繁栄に寄与していましたが、寺社が力を持ち始めると逆に世に仇なす存在となって騒乱が起きる要因となり、武家の対立も拍車を懸けて太平記の大動乱と応仁の乱で疲弊の一途辿り、織田信長豊臣秀吉の台頭を待ち望む所と成りました。 天下人が世を統一すると次第に動乱騒乱が収まり、明治維新まで戦の無い世が続き反映しました。 色々と歴史を積み重ねた京都をブラ歩くと、知らなかった事などが、温故知新の如く知る事が出来て且つ古き世の市井の日常生活に触れる事が出来て有意義な散策を楽しむ事が出来るので何度も古都京都を訪れたいと思います。