近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

映画の聖地 日本のハリウッド太秦

牧野省三顕彰之碑を訪れて、其の足で嘗て映画産業が繁栄した夢の跡を訪ねました。

 

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此の映像は、大映京都太秦映画撮影所の跡地に建てられた中学校でして、正門から少し離れて嘗て在った大映京都太秦映画撮影所を地元の住民が記憶に残す為、映画会社と掛け合って了承の上で市の救育委員会にも承諾を得てモニュメントを制作した様です。

 

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此方のトロフィーのレプリカは、多分黒澤明がメガホンとって1950年作品「羅生門」で獲得した海外賞で受賞したトロフィーの数々です。

 

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羅生門」1950年作品 監督黒澤 明  主演三船敏郎

第12回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞受賞

第24回アカデミー名誉賞

中学校正門側に設けられた記念モニュメントのトロフィーレプリカは、多分「羅生門」受賞された物ではないかと思われます。

他にも下記2作品も海外映画祭グランプリ等受賞して居ます。

 

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雨月物語」 1953年作品  監督溝口健二  主演森 雅之・京マチ子

第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞

 

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「地獄門」 1954年作品  監督衣笠貞之助  主演長谷川一夫

第7回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞

第27回アカデミー賞名誉賞・衣装デザイン賞受賞

 

正に1950年代の映画界をリードした大映ですが、60年代に入って映画離れの斜陽化で業績を悪化して、惜しまれて1971年(昭和46年)に会社倒産で終焉。

其の引き金を引いたのが、市川雷蔵の突然の訃報により会社経営が傾いたとは信じ難いと思いますが、其れが真実らしいです。

 

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今回、三度京都太秦映画撮影所跡を訪れましたが、此方の取材をブロ友さんが運営するブログでクイズ題材として提供させて戴きました。

 

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京都太秦映画撮影所は建物全てを解体して更地にし、其の跡地に京都市立の中学校が創立されました。

正式な町名は、太秦多藪町と言われて居ます。

 

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東映太秦映画村東映太秦撮影所及び反対側の大映京都太秦映画撮影所跡地までの範囲で簡易地図が壁に貼り付けられており、残念な事に最後の2枚はカメラのバッテリーが切れかかって一度落ち、再度カメラの照準を合わせましたがぶれてピンボケに成りました。

最後の2枚は、嵐電帷子の辻駅を撮影し、もう一枚は比較対象する為に映画村の位置確認の為に撮影して添えました。

大魔神像を観たい方は、帷子の辻駅が一番最寄りで、キッチンハウスうずキネマ館へ伺い方は帷子の辻駅と太秦広隆寺駅の両方から行く事が出来ます。

空が曇天に曇ってきたのでブラ歩きは是れで収めまして帰路に着きました。

是れにて洛西巡礼のお話は、お開きとさせて頂きます。

映画の聖地 牧野省三顕彰之碑

久々に大映京都太秦撮影所跡を訪ねようと、最寄りの近道を通ると小さな社が通りの隅に隠されているように鎮座しており、鳥居越しに覗くと石碑が建てられて居ました。

 

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大映通商店街を太秦広隆寺方向へ向いて歩き、途中直ぐに左曲がったら即この社が目に入りました。

 

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此方の社は、如何なる神を祀っているかと下記の映像を一目見解ったらなら造詣の深い方だとお見受け致しますね。(笑)

 

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祀られて居る神は、お狐さまと八幡さまです。

何方も京都に在る大信仰の神様で、伏見稲荷大社石清水八幡宮を総社として勧請された社でえす。

此の様な所に、映画の父と仰がれた大マキノと呼ばれた牧野省三翁を偲ぶ顕彰碑が建てられて居るのですね?!

 

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映画好きな方なら此の方のプロフィールはご存知ですが、詳しくない方向けに詳細を貼り付けます。

牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、日本映画監督映画製作者脚本家実業家である。

日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物である。「映画の父」と呼ばれたD・W・グリフィスになぞらえて「日本映画の父」と呼ばれた。千本座の経営者から映画製作に乗り出し、300本以上の時代劇映画を製作。尾上松之助とコンビを組み、彼の忍術映画でトリック撮影を駆使した。歌舞伎講談立川文庫から題材を求め、「スジ、ヌケ、動作」を三大原則とした映画製作で大衆から支持を得た[1]。その後マキノ・プロダクションを設立し、阪東妻三郎片岡千恵蔵嵐寛寿郎高木新平月形龍之介市川右太衛門といったスター俳優や、監督の衣笠貞之助二川文太郎井上金太郎内田吐夢ら、脚本家の寿々喜多呂九平山上伊太郎らを育て上げた。

 

ホント、凄い顔ぶれの面々が直に教えと薫陶を受け、其の後の日本映画発展と興隆に尽力したレジェンド達(   ◜ω◝ )☝︎

 

 

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上の映像が、牧野省三翁御本人です。

息子もマキノ雅弘として映画に携わり、上記に紹介した面々と同じく薫陶と教育を受けた一人です。

 

 

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マキノ省三銅像が建っているのは、室町幕府創始者足利尊氏菩提寺で在る等持院境内に有りますが、一度その等持院を拝観する為に訪れたが、記憶から失念しているのか?其れとも見落としのどちらかで覚えて居なかったです。^^;

 

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此方の映像は、長門裕之津川雅彦ファミリーを写した映像ですが、何故投稿しているの?と訝る方も居られますが、此の兄弟と娘の真由子は牧野省三翁の直系の子孫でして、長門裕之津川雅彦兄弟の母は牧野知子で省三の娘に当たり、叔父はマキノ雅弘です。

外孫に当たるので亜流扱いと成りますが、れっきとした孫・曾孫です。

余談ですが、祖父・叔父が映画監督で在ったので役者と二足の草鞋を履いて映画監督も努め、代表作品は「寝ずの番」「旭山動物園物語ペンギンが空をとぶ」他1作品」にメガホンを執られて居ます。

今度、亦等持院に出向くときは、銅像のことだけを念頭に置いて訪れてみたいです。

キッチンハウスうずキネマ館 遅い昼食と摂りました

7月度の日替わりメニュー献立を眺めて居ると、2日の献立は「豚ネギ塩炒め」と予定されており、もう一つ食べたいと食欲をそそるイメージが湧かなかったのでこのお店の人気メニューのド定番「唐揚定食」をオーダーしました。

 

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 献立を見て気に入ったのが無かったので、ド定番の唐揚定食」をオーダしました。

観て下さい!是れが、唐揚定食のボリューム感が在るメインとサブメニューの数々です。

 

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 メインの鶏の唐揚が5個皿に盛られて居ます。(#^.^#)

 

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定食に付き物の味噌汁と香々(お漬物)が付き、まず2品。

関西では、お漬物の事とこうこ(香々)と呼んでいますが、関東では香の物と呼ぶらしいですね。

 

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サブメニューの1品目は、「ひじきのたいたもん」。

 

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サブメニュー2品目は、「千切り大根のたいたもん」。

 

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サブメニュー3品目は、「きゅうりと若芽のお酢のもん」。

 

サブメニューの紹介で、余り聞き慣れない語源表記をしましたが、「たいたん」とか「~のもん」と言う語源は、関西でも一部京都と大阪で年配のおばちゃんやお婆ちゃんが良く口にする言葉です。

訳すると、「たいたん」は「炊く」「煮る」から由来しており、「~にもん」は「何々の物」が音便化(語源が訛る)して表現されています。

 

是だけのメニューでお代も決して安くは無かったですが、おかずが美味しかったのでご飯をお替わりしたので其の分お代に上乗せされると思い野口英世を2枚財布から出して用意していましたが、提示された金額は予想を下回っていたのでコチラから「ご飯のお替わりの料金が含まれていませんよ」と店長に尋ねたら、「今回コロナ禍でお越し下さり感謝していますのでサービスさせて頂いています」と丁寧に仰った。

この日の昼食代は野口英世1枚で収まり、此方も嬉しい限りでして、此処(太秦)に立ち寄る際は必ずキッチンハウスうずキネマ館で食事を摂りたいと思います。

昼食後、店を後にして旧大映京都太秦撮影所が在った界隈をぶらぶらと散策し、次の場所は日本映画に貢献した或る方を偲ぶ場所を訪れました。

キッチンハウスうずキネマ館 7月の日替メニュー献立表

久しぶりにうずキネマ館を訪れたので、店内のレイアウトが変わっていないかと見回し、落ち着いたら目の前に渦キネマ館の献立表が手に取る事が出来たので目を通しました。

 

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キッチンハウスの予約持ち帰り弁当は以前にも紹介し、大魔神の顔を象った大魔神弁当はブロガー達から注目を浴びましたが、日替メニューは今回初めて紹介します。

 

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7月2日今日の日替メニューは、「豚ネギ塩炒め」でもう一つ食指が届かなかったので日替メニューは止めてド定番メニューをオーダーしました。

次回の投稿は、この日食べた食事メニューを投稿します。

キッチンハウスうずキネマ館の玄関先

大魔神像前で少し時間を潰したが、行き付けの食事処はもう直ぐ其処まで近付いているので歩を伸ばして行きました。

 

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此のお店は、大映通商店街の真ん中ぐらいに位置しており、店の近くまで行くと橙色の幟(のぼり)が見えてまいます。

 

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キッチンハウスうずキネマ館の店先の暖簾です。

このお店の開店した経緯は、地域交流に根付いた店づくりをコンセプトに建てられ、其処に何か地域の特色を醸し出したいと言う想いで、嘗て大映映画会社の京都太秦撮影所がこの商店街の賑わいと繁栄を齎した古き良き昭和の匂いを思い起こして欲しいと言う事で店名にも太秦の名前と映画をマッチングして名付けたのだと私は思いを馳せて居ます。

 

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この店頭の演出物(映画ポスター・映写機・グッズ)が物凄くマニアやファン達を惹き付け、ツイツイ興味本位で中を覗きたいと言う願望・欲望をそそる役目を果たしているのでしょう。((*´∀`*)

 

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中に入って腰掛けて店内を眺めたら此の様にマニアが歓喜狂喜する位の年季物の実物が展示されて居ます。

此のポスターや映写機関連は、全て此のお店に関わった関係者の中に大映東映の関係者が居られたから店の演出が出来たのです。

令和2年7月2日洛西巡礼  大映通商店街

嵐電嵐山駅の駅舎を見回して京都中心地の四条大宮行きに乗車し、北野白梅町行きの分岐点帷子の辻駅で下車しました。

第一の目的は、昼食を摂る事。と第二の目的は太秦の反対側を散策する事です。

電車から下車して改札を潜り、信号を待ちをしていると何時もの風景が目に入って来ます。

 

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はてなのブログを立ち上げる前に私はYahooブログを開設しており、嘗てのブロ友達から注目された記事で此処の商店街も何度も取り上げて投稿してきました。

今回も久しぶりに此方を訪れ、記事になるネタを集める為に此の周辺を散策しました。

此処まで辿り着いたら、此の先に何が在るか知っておられる方お解りだと思います。((#^.^#)

 

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生鮮スーパーの店頭ですが、既に或物の輪郭が顕に成って佇んでいます。

 

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大魔神像なのですよ!

この大魔神像の謂れは、この商店街の営む経営者達が商店街そのものが日本各地で廃れている現状で街興しの為に、嘗て此の地の奥に大映映画会社京都太秦撮影所が在った記憶を風化させないために大映が撮影所を閉鎖する時に倉庫の中に眠っていた大魔神像を大映から譲渡され、商店街のシンボルとして最寄りの帷子の辻駅から下車したら直ぐに目に入るインパクトが強いので場所を設定して像を設営したのです。

此の像、唯佇んでいるだけでなく、催しや地域交流で度々貸し出される事が多く人気者なのですよ。

此の魔神像が在る場所から歩いて5分くらい距離に、行き付けの飲食店が在るので其処で少し遅い昼食を摂る事しましょう!

次回の投稿は、店内の様子を3回に分けて投稿しますのでお楽しみ下さい。

令和2年7月2日洛西巡礼  7月初めの嵐山の情景

松尾大社の最寄駅から乗車して終点嵐山駅へ向かいました。

此方の阪急嵐山線の嵐山駅では、数年前に下車して改札を潜ったら直ぐに野猿に遭遇し、野猿は橋を渡らずに反対側の民家を通ってゆっくりと歩き去る(猿)光景を呆然と眺める体験をしましたが、此の日は猿どころか人も疎らで渡月橋を渡る観光客も無茶苦茶少なく、辺りを眺めながら嵐電嵐山駅の駅舎へ向かいました。

 

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阪急嵐山駅から200m弱の距離を歩いたら、嵐山の土手を風光明媚な場所に作り替えた嵐山公園まで出て来ました。

春は、櫻が花を咲かせて愛でる場所も沢山ある公園ですが、流石にコロナ禍の最中で少し規制が緩まったので人の居ない事を逆手に取って久しぶりに嵐山まで足を伸ばしました。

 

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此の映像を見て頂けば判りますが、渡月橋を行き交う観光客の流れは3蜜を避けて距離が有る程間隔が長く成り、如何に京都に観光客が減少しているか一目瞭然の状態です。

京都での観光客の来訪を観るには、私が思うところ3箇所(東福寺周辺・清水寺・嵐山駅周辺)見たら直ぐに把握出来ますが、見るに耐えない状況です。

 

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観光地では良く見る光景で、人が集まる所では人力車曳きの車夫が観光客の乗車を募っていますが、頓と捕まる気配では無く、唯呆然に近い状態で佇んでいます。

 

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この橋の上を何時も身や肩を竦めて歩かなければ成らない状況ですが、コロナ禍の最中何処の街でも人けが少ない淋しい状態ですが、此処嵐山では相当酷い有様でした。

 

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桂川に船を浮かべて観光客を乗せて舟遊びをする光景が見えませんでした。

 

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天龍寺、嵯峨野方面に行く道路に向けてカメラを向けているが、殆どの土産店・飲食店は未だに店の戸を閉めている状況でした。

 

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此方の案内標識を見て、観光客は其々行きたい場所へ誘うのですが、此の日は非常に心淋しかったです。

 

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嵐電(嵐山電鉄)嵐山駅舎構内の状況です。

此方も本当に疎らな人気が少ない状態でした。

此の後、嵐電に乗車して私は何処へ往くのでしょうか?(笑)

その答えは、次回の投稿を観て頂ければ解る方は判ると思います。

次回の投稿を乞うご期待下さい。