久々に大映京都太秦撮影所跡を訪ねようと、最寄りの近道を通ると小さな社が通りの隅に隠されているように鎮座しており、鳥居越しに覗くと石碑が建てられて居ました。
大映通商店街を太秦広隆寺方向へ向いて歩き、途中直ぐに左曲がったら即この社が目に入りました。
此方の社は、如何なる神を祀っているかと下記の映像を一目見解ったらなら造詣の深い方だとお見受け致しますね。(笑)
祀られて居る神は、お狐さまと八幡さまです。
何方も京都に在る大信仰の神様で、伏見稲荷大社と石清水八幡宮を総社として勧請された社でえす。
此の様な所に、映画の父と仰がれた大マキノと呼ばれた牧野省三翁を偲ぶ顕彰碑が建てられて居るのですね?!
映画好きな方なら此の方のプロフィールはご存知ですが、詳しくない方向けに詳細を貼り付けます。
牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、日本の映画監督、映画製作者、脚本家、実業家である。
日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物である。「映画の父」と呼ばれたD・W・グリフィスになぞらえて「日本映画の父」と呼ばれた。千本座の経営者から映画製作に乗り出し、300本以上の時代劇映画を製作。尾上松之助とコンビを組み、彼の忍術映画でトリック撮影を駆使した。歌舞伎や講談、立川文庫から題材を求め、「スジ、ヌケ、動作」を三大原則とした映画製作で大衆から支持を得た[1]。その後マキノ・プロダクションを設立し、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、高木新平、月形龍之介、市川右太衛門といったスター俳優や、監督の衣笠貞之助、二川文太郎、井上金太郎、内田吐夢ら、脚本家の寿々喜多呂九平、山上伊太郎らを育て上げた。
ホント、凄い顔ぶれの面々が直に教えと薫陶を受け、其の後の日本映画発展と興隆に尽力したレジェンド達( ◜ω◝ )☝︎
上の映像が、牧野省三翁御本人です。
息子もマキノ雅弘として映画に携わり、上記に紹介した面々と同じく薫陶と教育を受けた一人です。
マキノ省三の銅像が建っているのは、室町幕府創始者足利尊氏の菩提寺で在る等持院境内に有りますが、一度その等持院を拝観する為に訪れたが、記憶から失念しているのか?其れとも見落としのどちらかで覚えて居なかったです。^^;
此方の映像は、長門裕之と津川雅彦ファミリーを写した映像ですが、何故投稿しているの?と訝る方も居られますが、此の兄弟と娘の真由子は牧野省三翁の直系の子孫でして、長門裕之・津川雅彦兄弟の母は牧野知子で省三の娘に当たり、叔父はマキノ雅弘です。
外孫に当たるので亜流扱いと成りますが、れっきとした孫・曾孫です。
余談ですが、祖父・叔父が映画監督で在ったので役者と二足の草鞋を履いて映画監督も努め、代表作品は「寝ずの番」「旭山動物園物語ペンギンが空をとぶ」他1作品」にメガホンを執られて居ます。