近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

開基の功より守成の勇

t洋の東西を問わず、歴史大河を紡ぐ英雄立志伝で語り継げられる物語に於いて、必ず血なまぐさい流血秘話が隠れています。 世に知られている事、隠されている事に問わず国家数百年の体形を創る時に悲劇は伴う物でして、大陸と東の果ての島国に於いても血腥い話が語り告げられ、ドラマと成って居ます。 今、日本国民の一部の民衆に於いても韓流好きの視聴者が多くいます。 何を観て感動しているのか人それぞれで、歴史を見るのなら血腥い物を見るのが一番考察に役立ち、全てにおいて相通じる事柄に紐付けされて手に取るように判ります。(笑) 権力は一代限りでして、延々と引き継がれるのは、開基者に必ず有能な後継者が居て初めて事を為すので有って、本当に居なければ真に一代限りで終わります。 たいらの、源頼朝織田信長豊臣秀吉が、栄耀栄華極めた英傑です。 主題の通りに真の成功者でありますが、失敗者でも有ります。 真の成功者は、子々孫々、開基の遺徳を引き継ぐ者が居る事が第一で、引き継ぐ者には守成に恵まれた物だと私は考察します。 室町幕府を開いた足利尊氏を例に取ると、息子義詮はどうしても愚昧なバカ息子で、居ては幕府の運営に於いて支障を来すので支えている家臣・豪族から案外暗殺されてかも知れないと推察しますが、歴史では病死扱いだ記述されています。賢明な家臣は三代に義満を押し立てて幕府の磐石に立て直して二百数十年の長きに続きましたが、中興の八代目が悪過ぎたので幕府運営がボロボロに成った。 権力者の血縁者、功臣、豪族には、大封を以て遇するのでは無く、倒れず死なず程度に遇するのが一番体制に良く、其れを実践したのが上古の王朝 商(後に殷)が実践した良き見本が有り、650~700年近い御世を体現しました。 其処までとは、言わないが其れを知らず知らずに行ったのが徳川家康と秀忠親子でして、三代は馬鹿でも世治める仕組みを築いたのが一番の功績だと思います。其れこそ主題の通り、開基の功は家康、守成の勇は秀忠が担い徳川幕府260年の築いた功労者であった。 隣国に於いては、李氏朝鮮王朝の開基したのはq、誰もが知って居る李成桂(イ・ソンゲ)ですが、初代が王朝を開基した時は高麗王朝の残り香が未だ色濃く残っており、其太宗(テジョン)として次席の謚号で奉られて名を残しています。他者は、彼の事を冷酷非情の君主として記憶と記録に留めていますが、私は想は思いません。 彼の王が、二大、三代と間を置いて出現しておれば、今の韓流ドラマは乏しい内容で茶の間に取り上げられる事は無かったと思われますが、其の様に成らなかったのが史実の通り沢山の韓流ドラマが生まれましたね。 其れは其れで良きことかも知れませんが、隣国の北朝鮮は、沢山の人を殺め過ぎて、ヨシフ・スターリンの様な絶対的独裁者が三代続いているのが稀有でして何時綻びを見せて滅ぶのが楽しみに伺っていますのだから我ながら弩し難いです。れを払拭するのに後に三代王を引き継げ李芳遠(イバンウォン)が、王族・姻戚・家臣を遠慮躊躇無く粛清し、絶対的な王権を確立した。其れ故に