坂本龍馬・お龍の結婚式場跡から十数m歩くと三条通と白川が交わる場所が在り、其処を直ぐ左折すると人通りが少なくなり川沿いに或る案内標識が建てられて居るのを一目見て其処へ訪ねました。
白川の両岸に柳が植えられており、是れが知恩院の門前口まで続いて居ます。
この映像で1軒の和菓子屋が写っていますが、此の和菓子屋の横に通り道と言う拠りも辻と言っても良いくらい短い道が在ります。
是れが和菓子屋横にある辻で、少し先に行くと途中で分かれており、其の左側に怪しい場所が存在します。
脇道の傍まで近付くと建鑑札が建てられて居り、謂れ書きが添えられて居る様です。
何が書かれて居るかと申しますと、山崎の合戦に於いて敗れ去って山科まで落ち延びると、其の場所で落ち武者刈りに遭い光秀が討たれ、光秀の首を死守する為に落人狩りから家臣が逃げ延びて此方に埋めたのが塚の始まりだと書き記されています。
私以外でも先に塚に詣でに来る者が居たのが驚きでした。
底には「麒麟が行く」の番宣の案内も貼られていたので此処を訪れて欲しいと地域が望んでいると汲み取りました。
次回は、白川の眺めを投稿します。