京都市庁から河原町通を歩いて、四条通から八坂神社を眺める場所まで出てくると、四条通を真っ直ぐ八坂神社まで歩き、八坂神社の階段まで何とか辿り着きました。
HNKの「ぶらタモリ」でも放映していましたが、八坂神社の階段あたりから東山と洛中の境界線だと言っていた事を思い出し、階段を上がって上から四条通の先まで遠望し、八坂の入口南楼門を潜ると曲がりくねった階段を登り、拝殿が拝めるところまでえ歩いて今度は更に奥に行くと奥の出口の鳥居を潜ると其処は桜の名所円山公園に至ります。
円山公園は、奥にゆく長楽寺や洋館と北に出ると知恩院の行くルートの分岐点に成って居ます。
今日の目的は、最後に長樂寺へ参る事なので一心不乱に坂道を歩き、最後の難関階段を上がり切った場所に目指す長楽寺が在ります。
坂道階段を上っても参道が続き、少し辟易しています。
此方の長樂寺は、開基したのが天台宗の祖最澄が延暦寺の別院として創建したのが始まりですが、時代の流れで紆余曲折して浄土宗の一派時宗に宗旨替えが為され今日に至っています。
高倉天皇の中宮徳子が壇ノ浦の戦いの後、此の寺で平家一門の菩提を弔う為に落飾し、其のあとは大原へ移り住んで寂光院を創建した。
其の後、法然の弟子、隆寛はこの寺に居住して多念義を唱えた。隆寛の系譜は寺院名をとって後に長楽寺義・長楽寺流・長楽寺派といわれた。
案内を伺うと水戸家とも縁があり、頼山陽ほか水戸藩氏の墓所も在る様です。
前回伺ったときは、休館日に当ってしまって泣く泣く帰りましたが、今回は曜日を確認してリベンジの意味を込めて最後の気力を振り絞って長い坂道階段を歩き登って拝観する事が出来ました。
次に続きます。