近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

日出処の天子

此のタイトルを目にして漫画好きな方ならば、誰の事を申しているのかとお判りに成られると思いますが、歴史に疎い方も居られるので誰で有るのか明かします。 ズバリ、天皇に成られる資格が有りながら叔母(推古天皇)を影日ななた支える事を徹したした甥の聖徳太子(厩戸皇子)の呼び名です?(笑) 此の聖徳太子は、国の統制を仏教を以て治世を収めようとしたが、朝廷を牛耳る蘇我氏物部氏に挟まれてどちらに付く事も出来ず、、動向を伺う政治を行うことを余儀なくされ、一方の蘇我氏は仏教に賛成したが、もう一方の物部氏は猛烈に仏教を国体に据えることに反対を唱えて聖徳太子の動向に絶えず掣肘を懸けて妨げた。 所が聖徳太子も強かなもので物部氏の意向に反して畿内に三十六の寺を建立して現在も残しているのなで凄い偉業だと思います。 私はs、寺社仏閣を参詣する事が好きな性分でして、知らず知らずして聖徳太子の威徳で在る自社を参詣していました。 意識して参詣したのが法隆寺四天王寺で有ります。後に太秦を訪れた時に門前前の秘蹟謚号を大きく彫り込まれていたので誰で有るか了解して境内に入り参拝したのが太秦広隆寺でした。 後は十数社訪れて、御朱印やお寺のお坊様からもお話を受けて知る事が多く有り、今年最後に訪れたのがブロ友猫姫さんの所の野中寺でした。 所で皆様が聖徳太子と呼ばれているのが正式の尊名無く、薨去して与えられた名前(謚号)が聖徳太子でして生前の名前が厩戸皇子が本当の呼び名ですので皆様も知らないうちにお呼に成られて居るのだ思われます。 聖徳太子自身は、天皇に当祖されたら暗殺に遭う危険が高く、豪族からしたら隅に置けない要注意人物なので聖徳太子薨去しても一族の存在が危険視されて、聖徳太子の死後に族滅の憂き目に遭い、血統は絶えました。