近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年5月26日阪急沿線西京極駅から西院駅周辺をブラ歩き  平安京西側の境界線天神川

表題通り、スポーツの聖地西京極総合運動場公園が眼前に広がり、其処まで行くと阻むように天神川が流れていました。

 

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此方の天神川は、嵐山電鉄の嵐電天神川駅辺りで御室川と合流しており、南側は南下すると桂川に合流する河川ですが、平安京に遷都された時は天神川が西側の境界線に辺り、周辺は絶えず氾濫する暴れ川の土壌に当たったので当初貴族の屋敷が在ったが、氾濫が続いた為に住み難い場所と判断し、必然と東側に移住先を求めた。

余談ですが、東の境界線は鴨川で仕切られていましたが、西の天神川が氾濫続きで東山の山手に居住を求めた貴族が増えて、次第に江戸時代初期に時の天皇後水尾天皇が将軍秀忠の孫娘興子内親王(明正天皇)に帝位を譲り、さっさと御所を去って東山に隠居地を求めた。

其の後、谷御所と呼ばれ現在は霊巌寺と呼ばれる様に成り拝観も年二度伺えるかどうかの訪れ難い場所と成って居ます。

全て、「ぶらタモリ」の受け売りでして、何方も分けて脈絡なく放映されて居ました。

 

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平安京の見取り図で、碁盤の目のように整理されていますが、西側の境界線を実情の地図を被せ合わしますと此の様な地形が浮かび上がりました。

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平安京の左右の境界線は、川に仕切られており、東の鴨川も暴れ川でしたが、層々度重なって氾濫は起こすことは有りませんでしたが、西側の天神川は余りにも氾濫が多く起きたので干拓工事を行って流れを真っ直ぐにしましたが、其の事が更に追い討ちをかけて辺りは湿地地帯と化して人も住めない地となって時代からは忘れ去られました。

 

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此方は、西院の近くを流れている天神川ですが、周りは学生街と成って居りましてキャンパスの狭間を流れている閑静な光景です。

此方の光景は、大分後に投稿しますので割愛させて頂きます。

次回は、西京極総合運動場公園内に入って真っ先に訪れた場所を投稿します。