近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年5月26日阪急沿線西京極駅から西院駅周辺をブラ歩き 伝説の阪急ブレーブス準フランチャイズ西京極球場

西京極を訪れようと思った動機ときっかけは、此処は昔阪急ブレーブスがシーズンの合間本拠地西宮球場が使用出来無い期間、同じ阪急電鉄沿線に在る球場を使用出来るメリット生かして西京極球場を使用する事と成ったと思います。

何故かは、経緯は知らないが、本拠地西宮球場は公営の競輪として開催れているので野球が無いオフシーズンとか期間中に遠征に出掛けている期間中に競輪を運営しているのだと推察しており、阪急がオリックスに身売りして以降は本拠地西宮球場と準フランチャイズ西京極球場の試合は殆ど行われていませんでした。

西宮球場に関しては、オリックスと言う会社の業種を鑑みて公営博打行う球場を使用したら余計に企業イメージが悪くなるので神戸の露天の球場を使用してオリックスブレーブス(後にブルーウェーブに球団名を変更)として再スタートしました。

阪急とは球団譲渡後、手切れ状態と成った関係で必然と西京極での試合開催は遠ざかってしまいました。

更に、球界再編性で1リーグ問題で騒然としてパ・リーグ近鉄バファローズが運営を断念してオリックスと合併すると言う未曾有の事が起こり現在に至り、ますます西京極での野球開催が遠ざかりましたが、2015・2018には久方ぶりに試合が行われ、オープン戦でも試合が行われました。

後の理由としては、西京極は駅伝の聖地でも有ると言う理由で一度足を運んでみたいと思い公園内入りました。

其方の方は、次々回で取り上げますので悪しからず。

 

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こちらの映像はモノクロで胴上げされている人物の事を知らない方も沢山居られますが、胴上げされた人物は常勝阪急ブレーブスの礎を築いた西本幸雄監督で、期しくも1967年10月1日西京極球場で行われた試合で阪急ブレーブスが球団史上初のリーグ優勝を遂げたシーンです。

 

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自販機横から垣間見えた現在の球場です。

 

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柵の間からカメラを通して球場内部を撮影しました。

 

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球場名もわかさスタジアムと命名されて、企業スポンサーに付けて管理運営が行われて居り、現在ではアマチュア野球の聖地となって、主に大学野球のリーグ戦が此方で試合を行われています。

 

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プロ野球の興業が行われた頃に比べたら、運動場全てを改修してスポーツの聖地と化し、若いアスリート達が此の西京極総合運動場公園に集う事と成り、阪急京都線を乗車して駅が止まる時に良く学生たちが競技場で競技を行っている光景を目にする事が度々目にする事が在り、ちなみ大阪では長い競技場辺が良く似た環境だと思います。

次回投稿は、隣接している陸上競技を行うスタジアム周辺を伺います。