櫻井神社から第二の目的地が直ぐ近くに在り、其処へ行く途中此の碑に目が止まりました。
此方の高僧の経歴は、祖父は加藤清正(賤ヶ岳七本槍の士)の家臣で、父は摂津國尼崎藩士で浪人した為に子供の殆どが僧籍に入るか養子として家を離れるしか選択肢が無い状況で、契沖は地元の寺院で学び真言密教の高僧に師事して入山。
厳しい修行を収めて阿闍梨という高位の位階を得ました。
其の後、万葉集等和歌の研究を収め、(藤原)定家仮名遣に矛盾を感じてトコトン突き詰め、正しい仮名に直した功績で後世に名を残しました。
遺憾な事に、人を讃えるのならもっと人気の在る場所に碑を建て欲しかったですね!
此の場所は、どちらかと言えば裏通り観たいなひと通りが少ない場所に建っていました。
次の投稿は、2回に分けて第二の目的地を投稿して阪神電鉄沿線徘徊編を締めます。