此の日は、以前から計画していた昨年(令和2年)6月で退役した阪神電鉄武庫川線を走行している赤胴電車が新たな場所で復活すると言う記事を閲覧し、唯々何の趣向もなく真っ直ぐに訪れるのは芸が無いと言う事で電鉄各社を乗り継いで最後に目的地の武庫川線終着駅武庫川団地前を訪れるという企画を勘案して実行しました。
今回は、車両の撮影は殆ど控えましたが最後の阪神電鉄車両を数車両撮影したが、主に各電鉄会社の要衝と成る駅を撮影する事を目的として徹しました。
まず最初はスタートとして私の地元の南海堺駅のプラットホーム周りを撮影しました。
何時もなら旧駅が在った北口から乗車するのだが、自転車で駐輪場に駐輪した事で少し歩いて正面入口から乗車しました。
此方が趣のある改札口です。
之だけでは判断出来ず、何処が趣が有るのだとツッコミが入る事が必定ですが、事を急いてはダメでキチンと紹介致します。(笑)
中世商業都市堺が栄えたのは、単に南蛮貿易の恩恵を受けて富む者は更に富を築き上げる天井知らずの繁栄を築きました。
其処に目を付けたのが、戦国三英傑の一人織田信長でして、信長に全て見透かされて最後は法外な関銭を払って存続する道を選択しました。
其の後、信長べったりの豪商津田宗久、今井宗久を筆頭に千宗易等が引き立てられました。
其の栄光を忘れられず、恥ずかしくも南蛮貿易屏風図を駅改札口天井に設置した経緯です。
此方のプラットホームは、難波方面に向かう側です。
暫し、急行・特急はこの時間帯は席に座る事が出来無いので10数分時間を要して普通車両に乗り込み、次の到着駅新今宮まで車両に揺られてゆったり椅子に座って時間を経つのを待ちます。