案内板から少し前を行くと、建物に面した場所に大きなパネルバンが掲示されており、其のパネルが開演されるオーケストラ、出演者等を映し出し、10秒も経たない内に次々とパネルを演出して行くのです。
案内板から見て、丁度フェニーチェ堺の真裏に当たる場所です。
今、此の様な電自動で動くパネルがビルの壁面やバス停留所等に備え付けられており、此のパネルを見たのが大阪地方裁判所堺市部前に在る南海バス堺東駅前停留所に設置されておりサントリーのCMが次々と映し出されているパネル板を数倍大きく演出した物がフェニーチェ堺の真裏に設置されているのです。
今、NHK大河ドラマ「麒麟が行く」で明智光秀が訪れた場面で堺が誰よりも先に世に出した種子島と呼ばれる南蛮伝来の鉄砲が演出されていましたが、其れに合わせたどうかは定かではないですが、昔堺では鉄砲鍛冶が盛んに成っていたが戦国の世も徳川家康が大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼしてからは鉄砲が無用な長物と化して鉄砲が大量に生産出来ない世に生った為、生き残りをかけて鉄砲鍛冶達は方向転換して鉄砲に変わる刃物を特産品(和包丁等)として世に出しました。
今も包丁は、堺の特産品として世に知られて居ます。
又、線香も堺の特産物して名残を残しており、堺市の線香が大阪府知事指定ー伝統工芸品として指定されている為です。
其のホームページの一文を抜粋しました。
16世紀の終わりに中国から製法が伝わり、日本で初めての線香が作られました。堺は当時我が国有数の貿易港であり、原料の香木が集まりやすかったことや、寺院が多かったことが線香づくりの発展を支えたと思われます。
堺の線香は、選びぬかれた天然の香料の調合が特色で、香の芸術品といわれています。香料の調合率などは、それぞれの製造元の秘伝とされ、時代に合わせて工夫を加えながら受け継がれています。また、香りのブームの中で、室内芳香用また医療用として、天然香の効能が注目されています。
画面が、次々とシャッフルするように映像が変わり、今度は堺名産の和菓子「肉桂餅」が映し出されて居ます。
堺市民でも知らない田舎者が沢山いますが、此の餅を知らない者は潜りだと揶揄されるほど通には知れ渡った和菓子です。
中世永世自治都市堺の環濠の中に在った古刹南宗寺、庭園と寺院内の襖絵が文化財に指定されています。
フェニーチェ堺の外見映像です。
今度は、フェニーチェ堺の大ホール内部の映像です。
大ホールでオーケストラが演奏する指揮者・演奏者の映像を演出しています。
最後に、お笑いの殿堂吉本の芸人と吉本新喜劇を率いる組長達の映像が演出されています。
演奏以外でも落語やお笑いが、フェニーチェ堺に来演されています。