近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

洛陽三十三所観音霊場第二十一番札所 法性寺

芬陀院を後にして、元来た京阪鳥羽街道駅横を通っている通りを京阪東福寺駅の線路沿いを並行して歩いている、寺院が見に入って山号と寺院名を覗うと山号の冠に洛陽三十三観音霊場の観察が門柱に懸かっているのを見とがめて早速呼び鈴を押して拝観を申し出ました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20191209110614j:plain

街中にある小さなお寺で、よく見ないと全く気付かないお寺でした。

 

f:id:kinki-buraaruki:20191209110740j:plain

丁度、私が立ち往生していると、通りがかった京都市内在住の方が私の元に駆け寄り、「私も此方へ巡礼に来られた」と申し出て、此の方が呼び鈴を押して家人の取次ぎを為さいました。

街中にある霊場なので、無人に成って居る箇所や何度伺っても家人に出会う事が少ない寺院も在ると此方の方に話を伺い、常時と違って驚きを隠せませんでした。

 

f:id:kinki-buraaruki:20191209111547j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20191209111613j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20191209111636j:plain

出てきた家人は、90歳近い腰の折れた老婆が取次、拝観は年に二回しか行って居ないので時期はずれで駄目だと断れ、門前に手を合わせてお祈りを行って下さいと申し渡され、其の間納経帳の記帳待ちで辺りを伺っていました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20191209111711j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20191209111732j:plain

老婆が記帳した御朱印です。

中々の達筆で、観て唸りました。

納経帳のページを捲って法性寺の謂れを目を通すと、「承平天慶の乱」を起こした片割れの平将門が家人として使えた時の一ノ人藤原忠平が創建したのが此の寺法性寺でして、藤原氏の氏寺として大いに栄え、現在は国宝として指定されている観音像は創建当時の仏像として祀られ、「厄除観世音」として名を知らている。

 

次回の投稿は、御寺泉涌寺を投稿して参ります。