近畿ブラ歩き

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昨夜、久しぶりに東宝特撮映画「ゴジラ」を観た

昭和の映画は、多方オープニングに主題歌及びスタッフやキャスティングを紹介して放映が始まるのが定番化しており、時代が70年近く経ても何度観ても色褪せないのです。 現在と昔の特撮は、映画の予算額をふんだんに使えるかに拠って撮影規模が如実に画面に現れており、俳優やエキストラのギャラをケチれば映画其の物の内容や背景規模に大きく左右され、誰が観てもみすぼらしい物でしか創り上げる事が出来無いのです。 昨日観た「ゴジラ」は脚本に忠実に撮影する本多猪四朗氏がメガホンを撮っており、其処に特撮を担当しているのが特撮技術の父とも言われた円谷英二氏、効果音楽を担当しているのが是れまた音響の父伊福部昭氏が担当しているレジェンドトリオです。 俳優陣に重鎮志村喬氏を要に据えて主役を新人宝田明とヒロイン河内桃子と脇役に平田昭を前面に押し出し、脇は堺駿二他菅若かりし菅井きんを採用して作品を構成して居ます。 ゴジラの出現の仕方や何処を破壊するかが注目され、其の事が後々各作品のお題目みたいにクローズアップされてくるのだから面白いです。 「ゴジラ」の隠れたテーマは、矢張り核廃絶を謳っており、最終場面に移る前にゴジラに破壊しつくされた東京の惨状や死傷者の状況を原始爆弾の被爆者をダブらせる様な演出が成され、原爆に匹敵する化学兵器を制作した天才科学者の葛藤を演出し、人間としてどうあるべきかと科学者の良心の呵責を問い、被害者の心の叫びを切に願いを声を聞き届け、天才科学者は命を賭して自分が発明した化学兵器と共にきえてゆく 選択を選んだ事は真に悲劇としか言い様が有りませんですね。唯単に子供向けの怪獣映画とたかを括って観ている単細胞人間には人間としての心に琴線に触れる事は未来永劫に辿り着く事が無いと私は思いますね。