投稿も是れが最後となり、西国観音霊場札所観音正寺で千二百段の階段で足腰がガクガクと成り命の洗濯をさせられ、帰路の途上に在る霊場でしたので引くに引けない道程でしたので雨が降り出す最中強行して巡礼を行いました。
この階段を見てよ!先の観音正寺で足場の悪い階段を千段以上登らされ、今度も長々と続く階段を登らなければ成らないとは、正直ゾッとしますよ!!
後で桑實寺の石段数を調べたら五百段以上有り、先に千二百段を登って足腰にダメージが残っていたので、この桑實寺の五百段はダメ押しで堪えた。
階段を登りきったら、二つ目の門に出迎えられて、更に二十段弱上る拝観受付が在って入残量を支払って薬師瑠璃光如来が安置されているお堂に入りました。
標高433メートルの繖山(観音寺山)の中腹にあり、西国三十三所観音霊場の32番札所である観音正寺へと登る途上に位置する。
寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられている。寺名は、定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来する。
お堂の中は、国宝が沢山安置されているので撮影はNGで、撮影されば監視カメラで筒抜けなので鉄格子の在る部屋即GOです。(笑)
薬師瑠璃光如来の謂れは、
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
薬師経に説かれていることから、真言宗(東密)では顕教系の如来とされ、本来あまり重視されない。ただし、「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多いが、純密の両界曼荼羅にはみられない。
一方で伝統的に皇室と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
沙沙貴神社から徒歩で国道沿いから観音正寺へ独立独歩して、四苦八苦しながら辿り着き、今度は後門の狼の如く桑實寺が控えており、結局楕円をグルッと半日かけて歩き回り、予定の安土城址へと訪れる事が叶いませんでした。
次回訪れる時は、安土城址と彦根城をワンセットで訪れたいと思います。是れにてヨロヨロに成りながら帰路に着きます。
次回の投稿は、多方10日後に京都の東寺で催される年内最後の弘法市納め弘法での見聞を数回に分けて投稿してゆく予定です。