観音寺城址の一部を伺い、一番の難所だと思っていた観音正寺を伺おうと思い、散々平坦な道や坂道、山道を歩き続けた挙句。今度は足場の悪い石階段を登なければ成らないと思ったらげんなりに成った。
いざ階段を上ると一体幾段有るのかと判らず、上る途中に十数ヶ所に区切りが有り、一箇所に大凡100段は有るのだろうと計算し、真面に上がり切る事は叶わず、何度も「もう降りよう、もう降りよう」と心の中で何度も思い、心が折れそうに成りました。
このブログを記述して作業と並行して、観音正寺の事を調べると寺まで辿り着くと1200段以上の階段を徒歩40分懸かると記述している。
登りきったら全身汗まみれで、足腰がガクガクに成り、筋肉には至っては痙攣に近い痛みが生じおり、こんな思いをした巡礼は過去に2度体験しており、伏見稲荷大社の稲荷山と鞍馬寺の鞍馬を登った時と同じ体験をさせられるとは、これポッチも思っていなかった。
登りきったら、まず最初にこの建物が目に付いた。
聖徳太子云々と案内に記されており、良く見ると仏画教室を行っていますよと案内しています。
正面位目を向けると本殿が視野に入り、彼処に観音様が座して居ります。
先ほどの仏画教室の棟から幾棟続きに成っており、此方も庵みたいな場所だろうと思います。
釈迦坐像が左に在ったのか、記憶が曖昧で思い出せないです。
此処まで辿り着けるには幾つもの障害があり、最後は受付と言う関所で登山料とも呼ぶ冥加金を支払って此処まで辿り着きました。(笑)
因みに、マイカーで来訪する者は、通行料という冥加金をWで支払って居ます。
大悲殿(観音像が安置されている本殿)の奥には、千手千眼観世音菩薩像と言う有難い仏様が収められており、三十数ヶ所の各札所にも容姿も違う観音様が坐しております。
西国巡礼の起こりは、地獄の閻魔大王が病で開始状態に成って居る僧侶の夢枕に立ち、閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれましたが、当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました。
大悲殿が建って居る右横には、四国八十八お遍路・西国三十三巡礼の碑と観音像などの仏像がが建てられて居ました。
此方の観音正寺は、聖徳太子が開基し、推古天皇が創建した皇室が関与する御寺です。
西国巡礼第三十二番札所の御朱印です。
聖徳太子が関わっている事から、此方の二体の御朱印も授かりました。
其れにしても、此処に上がるまでは本当に命の洗濯をした思いで、階段を上がるにもこんなにのたうち回る程どエライ事とは思いも拠りませんでした。
帰りは同じ階段を下りるのは怖いので、マイカー参拝で利用される舗装した車道を下って下山しました。
今度は帰路に付くので同じ帰路上に在る西国薬師巡礼の札所桑実寺へ足を運ぶ途中で見かけた物を投稿します。