近畿ブラ歩き

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令和元年12月20日滋賀圓城寺(三井寺)巡礼 ③

此方の圓城寺は、織田信長豊臣秀吉高台院(寧々)・徳川家康と、天下人とは深く因縁の有った古刹でして、織田信長比叡山延暦寺と対立した時、延暦寺の焼き討ちを行った際は此の圓城寺に信長に陣が敷かれたと言う因縁から始まり、其の衣鉢を継いだ秀吉とも友好的な関係を築いたが、突如秀吉の不興を被り伽藍の殆どが破却される不運に見舞うが、其の後秀吉も圓城寺の祟を恐れたのか、急に復興の許可を出したという数奇な展開と成りました。

そして此方の金堂も、北政所高台院寧々の寄進に拠って再建を果たした経緯が在ります。

 

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秀吉に拠って破脚された金堂ですが、後に秀吉の正妻北政所寧々(寄進した当時は、高台院を名乗っていました。)が寄進して再建されました。

 

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同前に石灯篭や香炉を置かれているのは珍しくは無いのですが、大概は大伽藍のお堂が多いのですが、此方の金堂は大伽藍と呼ばれる程大きは無いですが石灯篭を堂前に供えつけられて居る事に目が惹きますね。

 

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金堂で賜った御朱印 弥勒佛と記帳されて居ます。

十人十色、記帳者が変われば字が一変して全くの別物に成るのが書のおもしろさで、想像していた御朱印とは別物ですが、之もご縁を戴いたとして素直に受け入れました。