近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年3月3日京都いけずな旅探訪 妖怪ストリート③

妖怪ストリートに沿って歩きながら各商店の玄関脇に置かれた可愛い妖怪たちを眺め、丁度分岐点となる交差点が在ったので此の儘一条通りを東進せずに交差点を左折する事を選択しました。

以前、左折した方向から妖怪ストリートへ伺った事が有り、東進した先が商店街が少なかった事が分かっていたので、交差点を左折して或る場所の前に出る事を予想して進みました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319144638j:plain

此処は以前面した場所で、この先は見るべき物が殆ど無かったので左折して出ようとした。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319144831j:plain

再度、先ほど来た道を振り返ると妖怪ストリートの幟がはためいて居ます。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319145537j:plain

進んでいると左側に奥歯った目立たない場所に隠れ居るのは某社のコンビニ何ですね?

f:id:kinki-buraaruki:20210319145556j:plain

何と言う場所に在るんだ!おまけに隠れて居る為に景観条例に抵触しないので従来の店舗カラーで営業出来ているんだ!!

是れがはたまた目立つ場所に店構えしていると話は変わり、店舗の外装は黒一色に統一されるのだから大違いだ。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319150204j:plain

在る場所に出てくると前触れで言ったが、解る方は解るでしょう!(笑)

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319150400j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210319150426j:plain

出てきた場所にも大き目の交叉点が在り、今来た道が戻れば妖怪ストリートへ行き、進めば或る場所の前に出られます。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210319152604j:plain

菅公と呼ばれた御方右大臣菅原道真公の御霊を祀った北野天満宮が、或る場所です。

中小貴族に推されて大貴族藤原氏の長者藤原時平が遣らなくても良い讒訴を大醐帝に奏上し、道真の弁明の機会も与えられずに大宰府に左遷されたのが、各地に天満宮・天神社が創建される一因にも成り、失意の死を迎えて魂だけは都に帰ったと言われて居ます。

都では讒訴を行った藤原時平や取り巻きなどが不慮の死や怪死が続き、挙句に帝が住まう清涼殿も落雷で延焼し、命令した大醐帝が恐れ戦慄き突然の病で他界した事が引き金で今に至ります。

ホント、藤原氏大化の改新から始まり江戸時代まで血を見る事を厭わぬ氏族で、歴史の裏に暗躍し、魑魅魍魎の世界の主と君臨してきた経歴が有るので質が悪いです。

此の御方が神格化されて神に列せられた経緯を知る方は、良く勉強された方だと思います。

只、単に学問の神様だと思い違いしている浅はかなお方は幸せ者で、知らぬは仏で極楽浄土でも天国でも何処へも行ってらっしゃいとお勧めします。(笑)

此処は、日本三大怨霊の一人として畏怖された菅原道真の怒りと悲しみを鎮魂する為に此の場所に社を創建したのが始まりで、この地は格別に道真とは結び付きが無く、創建に尽力した僧侶が此の地に社が建てた事で、一番由緒が在る場所は薨去した太宰府に創建された太宰府天満宮天満宮の総社の地位として高位で有ると私個人は思います。

防府天満宮北野天満宮大阪天満宮等は後付けの動機で創建された物で、強いて言えば故人が太宰府で失意の日々を過ごし、今一度都に戻りたいと希っていたが失意の内に太宰府で没してしまったので故人の遺志を汲み取って都に近い場所に社が創建されたと思われます。

次回の投稿は、妖怪ストリートで一番最初に目に付いた寺社を投稿します。