近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和2年12月2日山陽電鉄・阪神電鉄沿線古墳ウォッチャー&神社参詣 明石城址内を散策

JR明石駅を下車し、駅前の横断歩道を渡ると直ぐに明石城址の環濠に突き当たり、環濠に沿って歩いて城址内に入っていくと明石に尽くした地元出身者の銅像が建っていました。

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環濠の浮島に一羽の黒い鳥を見掛け、レンズをズームインすると川鵜だった。

 

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後は、定番の何処にも居る水鳥です。

 

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入口の手前で斜交いに小丸・櫓を撮りました。

 

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城址内は公園に成って居り、市民の憩いの場としても重宝されている光景を伺いました。

今回は、カメラのバッテリー量と撮影枚数の縛りが有るので公園内の光景は割愛させて頂きます。

公園内は、老若男女が散歩を行ったり、絵画を行ったり、中で楽器を演奏する者も居り、一番めに焼き付いたのが外人の保育士が園児たちに英語で指示を行っている光景が印象に残りました。

 

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此の方の略歴を簡単に紹介すれば、本名が中部幾次郎と申し、マルハ(旧大洋漁業)の創始者でして、生まれは明石市出身です。

 

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この西国明石の地を治めるのには、江戸幕府二代将軍秀忠の治世末期に譜代を領主に当てて、譜代では破格の待遇で明石の領主して封じた。

唯、代替する毎に禄高が減らされ、十一代将軍家斉の時に子を封じた時に下の十万石の待遇に戻したと説明されて居ます。

此の日は、慌ただしく訪れて次の目的地に往く為、中を素通りしてしまいましたが、次回訪れるときは天守閣が在った辺りまで行って見聞したいと思います。

次回の投稿は、万葉歌人が祀られた神社を紹介します。