下鴨神社本宮から退出したら、元来た道を戻る様に行きしなに目にした社外社に目を向けました。
つい10年ほど前までは、此の様な社外末社等は在ったのか無かったのかと気にも留めて居なかったが、此処十年で物凄く無かった物が忽然と出来ているのに目を見張りました。
順番はうる覚えで余り覚えていないが、興味を惹いた順で投稿して行きます。
下鴨神社に仕えた歴代の斎王達の御霊を祀った社なのです。
此処では、斎王と通していますが、賀茂社と伊勢神宮の言い方の違い在り、詳しくは抜粋してきた記述を目通してして頂ければ成り行きの違いが解ると思います。
斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)[1][2]。厳密には内親王の場合は「斎内親王」[3]、女王の場合は「斎女王」といったが、両者を総称して「斎王」と呼んでいる。
伊勢神宮の斎王は特に斎宮(さいぐう)、賀茂神社の斎王は特に斎院(さいいん)と呼ばれた。斎宮の歴史は古く、『日本書紀』によれば崇神朝にその嚆矢が認められるが、制度的に整ったものが確認できるのは上代の天武朝からで、源平合戦(治承・寿永の乱)で一時的に途絶してからは鎌倉時代を通じて徐々に衰退し、建武新政の崩壊をもって断絶するに至った。斎院は平安時代初期の嵯峨朝に始まり、鎌倉時代に入っても継続していたが、承久の乱後の混乱の中でやはり断絶した[1]。伊勢では幕末に、津藩主藤堂高猷が再興を主張したが、成らなかった
此の社の創建は、寄進者に拠る寄付と寄進を前提に創建されました。
王朝雅を再現した葵祭が今有るのは、歴代の斎王・斎院達の数知れない犠牲の上に成り立ったいた事実でして、唯楽しむだけではなく身を捧げた斎院達の魂を鎮魂する願いで伺ったか亦違う感動が得られると思います。
地元京都新聞社の記事映像を参考として投稿させて頂いて居ます。