流石、京都と頷く事しきりで、北座を少し北側を歩いて裏側に回ろうとする途中でこんな物が目に留まりました。
小さな祠に収まっている大黒様なのですよ。
此方の大黒様、花咲大黒天と言うお名前で花街が在る京都の中心地に祀られて居り、此の様な仏像・神像が京都市内では気付かないが至る所に点在し、記憶に在るのが彼の有名な京都大学でIPS研究の第一人者山中伸弥教授が教鞭を執っているキャンパスが在る近くに大きな石仏が思い起します。
9月の投稿で北座の事を触れましたが、今回此方へ行く途中に駅の出入口横に在ってはおかしい物(銀行ATM)が公衆トイレに挟まれて在り、此の事を投稿しましたが、今回初めて北座まで伺って建物全体を眺めました。
ホント、直ぐ傍まで立ち寄りました。
後ろを振り返って立ち位置を確認し、もう一度向き直しました。
嗚呼、成程、路面に面している所は、八つ橋販売店舗で京都では名の通った老舗です。
北座の前を通している路地で、真ん前は公衆トイレ横の公営駐輪場に成って居ます。
何故、此方の映像を提供するかと申しますと、此のあとに投稿する画像と深く関わり合うお店を投稿します。
此方のお店は、南座の軒に店を構える鯡蕎麦(にしんそば)で有名な松葉の出店で、主に手打ち蕎麦と懐石を主に提供する松葉の支店です。
少し歩くと興味深い物を見付けました。
後日、投稿します。
私の趣味の一つに将棋を指す・観戦が有りますが、以前にも前ブログ・今ブログでも度々投稿してきました。
今日の対局は、主人公は7年ぶりに大舞台に姿を現した中井広恵女流六段ですが、何故古豪呼ばわりするかと言いますと、僅か11歳で女流プロに成り、同年代の林葉直子・清水市代としのぎを削った一時代を築いた女流棋士です。
対戦相手の里見香奈も小学生で女流棋士に成り、中学1年(12歳6ヶ月)でプロ棋士になる大器で番勝負(タイトル戦)の対戦では初顔合わせで、過去の対戦成績は6勝6敗の五分ですが、如何せん清水市代と比べてタイトル戦に拠る対局が無かったので対戦成績は何ら参考には成りません。
今、大山名人杯藤花倉敷戦第1局が中盤に入り、大駒飛車角がぶつかり遭う攻防を展開して居ます。
今回初顔合わせと成るタイトル戦です。
中井広恵・里見香奈が数多く対局した将棋界の女傑清水市代女流七段(現将棋連盟常務理事)ですが、中井広恵との対局が100局(清水の60勝40敗)超えの対局数は、男性棋士の対局で希で数少ない金字塔の一つとして記録されて居ます。
三強のもう一人の立役者、林葉直子元クーウィン王将(連続10期)ですが、彼女が将棋界を去ったのは中原誠名人との不倫問題を端を欲して色々と問題を生じ、心労を抱えながら一時は休養したが、其の後の対応が非常に不味かったので将棋界に身を置ける状況では無く、最後のタイトル戦を持って身を引いて引退脱会と成った。其の後もマルチな才能を活かして色々と話題を起こしましたが、度重なる不摂生で身を持ち崩し、余命何年と言い渡されましたが、気力で未だ持ち堪えています。
此方に2枚の写真に写っている男性は、将棋連盟理事長故米長邦雄氏(九段・永世棋聖)ですが、林葉直子とは師弟関係で中井広恵とは佐瀬勇次名誉九段門下の兄妹弟子の関係です。
ですので元を辿れば林葉と中井は佐瀬一門の同門に当たり、棋界を去った林葉にとって数少ない心を許せる同士と言っても過言では有りません。
盟友が去った後は、女流棋界第二世代の旗頭として清水市代と二人して棋界を盛り上げ隆盛を築いたが、力が衰えた頃に現女王里見香奈が忽然と現れて棋界に君臨し、同士の清水市代が里見から次々とタイトルを奪われて無冠に成り下がり、其の後も里見香奈に敢然と挑戦するが跳ね除けられる状況下、久しぶりに古豪が復活して第一人者里見香奈に挑戦しています。
第1局の結果は、今日の夕方に優劣が判明します。
閉店に追い込まれた店舗の残像に苛まれ、少しでも心を癒す光景を見たいと先を急いだのですが、9月にアニメの聖地巡礼記事で取り上げた東華菜館も営業を取り止めて数日間の臨時休業で店内改装を行っており、老舗の飲食店も此の有様なので気分は暗くなり、何時も通りの道順で八坂さんに詣でるのに同じ事を遣っているのも癪なので南座の対に成って居る北座の様子を伺おうと横断歩道を渡り、老舗洋食屋ビルの横を通るととても信じられない光景に出会いました。
は~あぁ、(´・ω・)))ナンジャ?是れは?
此処って、京都市営地下鉄の出入口( ◜ω◝ )☝︎
駅の間近に公衆トイレが在る事は、何処の地域でも儘見る事が有る光景ですが、何で駅に通ずる出入口とトイレの間に銀行ATMを備え付けているの?
本当に理解に苦しむけったいな光景です。
余りお目に懸れない可笑しな取合せですね。
阪急烏丸駅に到着したのが10時前で、四条通を歩いていると彼処此方とシャッターで閉ざされた店舗がチラホラと見え、良く見ると完全に店舗が倒産閉店した店や閉店してから数ヶ月経て新しい店子が入って改装している店も増えて来ており、八坂神社へ近づくにつれ閉まっている店舗数が3~4割り10時を過ぎてもシャッターを開ける気配がせず、酷い所に成ると大型商業施設が閉店後建物ごと解体して更地に為る惨状と化す所も見受けました。
四条通を八坂神社方面に向かって左側を歩いていると向かい側が、閉店後どれだけ時間が経たかは知れないが四方を囲って全面改装を行って居ます。
此方は、京都高島屋右横に隣接する大きな敷地面積を有する商業施設が解体後、更地にされており、其の後亦新たに立て直す予定かも知れません?
改装中の店舗を此の様な張り紙で、工事中で有る通行者に案内して注意喚起を即しています。
今年5月に閉店した京都マルイ店です。
9年前に阪急河原町店閉店後、入居したマルイが僅か9年で店を閉じたのもコロナで客離れした影響でしたが、2年以上前から既に売場改装して採算が取れないテナントを整理して飲食を主に改装したが、其れもコロナで3蜜状態に生じて感染の恐れに成るので休業せざる状況に陥り、店舗改装が全面的に裏目に出て閉店の憂き目に遭い、閉めるべくして閉めた格好と成りましたね。
次回の投稿は、数ヶ月ぶりに団体客を見掛け、其の動向を数回に分けて投稿してまいります。
4ヶ月ぶりにお金を散財せず、簡単安心を心掛け手近な場所を選定して行き慣れた京都の中心地をぶらぶら徘徊しました。
着いて早々、京都の中心街に異変を目にして興味津々と精力的に歩き廻りましたが、余りの変わり様に再度ため息を着きました。
八坂さんへ行く途中の何時もの光景ですが、何気なく銀行内をガラス越しに目を通すと思わぬ物が目に飛び込んで来ました。
今、撮影しているのは京都で預金シェアを京都銀行(関西でオンエアされている例のCMの銀行です)と凌ぎを削っている京都信用金庫の自動玄関前で撮影を敢行していますが、中は銀行とは似つかない空間が在りました。
おまけに、画像を編集している時気付いたが、自分が写り込んでいる居る事が全く解らなかったです。(笑)
度の様な作りでビル内を商業スペースで改装したか?予測を裏切るタイアップが現実に演出されています。
まさか、銀行内にスターバックスを垣間見るとは思いも拠りませんでした。
ホント、嘘でしょう?と唸りました。
7月2日に嵐山から太秦界隈を散策しましたが、其れから1ヶ月の時間を置いて大阪をブラブラと徘徊したいと思い、以前から訪れたいと願っていた金融街北浜の一角に或る神社を訪れました。
道修町の神農さんとして浪花の民衆から親しまれている薬を司る神様で、大国主命と二人して日本全国を旅した神様として古事記・日本書紀に記録されて居ます。
場所は、地下に大阪メトロが走行している堺筋通に面しおり、南の難波から堺筋を走行していると本町通と交差している辺りから銀行や証券会社ビルが軒並み連なり、其の集約地が北浜で在った。
北浜と申しても結構範囲が広く、北浜の中に在って神農さん(少彦名神社)が鎮座しており、何時の頃か周りが製薬会社が犇めき集合して薬の街として発展しました。
鳥居を少し潜ると谷崎潤一郎の名作「春琴抄」の碑が建っており、後で調べると彼の地こそが谷崎潤一郎が昭和8年道修町を舞台にして描いた春琴抄の碑です。
ビルの中・奥に神社が鎮座されており、狹い参道を歩いているとダラスケースが幾つか置かれ、其の中に薬の資料などが展示されて小さな博物館として演出されています。
参道を歩くと奥に在る社殿が見えて居り、紫色の垂れ幕が垣間見え、垂れ幕の端に寄進者の名前が染られ、其の名前を確認すると製薬会社で名の通った森下仁丹創業者一族から送られた物で有りました。
参拝を終えて外に退出し、法人化した神社が所有するビルの外観を撮影しました。
神社には、参拝者が多くは無いが途切れることなくポツリポツリと参拝に来訪者がお参りに見えて居ます。
神社ビルの斜め向かいに典型的な製薬に関わるビルが建っており、堺筋から御堂筋方面に広がるようにして製薬会社の軒並み林立しており、一社一社社名を目で追って見ていると結構名の知れた製薬会社が本社・支社・事業所が此の道修町に集まって居る事が判りますね。
参詣した証として、直接御朱印帳に記帳した御朱印一体と書置きの季節限定御朱印二体を拝受して行きは堺筋から此方へ参り、帰りは御堂筋方面にみ勝手製薬会社を目指しながら御堂筋に沿って帰路に着きました。
明日以降の投稿は、10月28日に八坂神社・知恩院にお参りした行き帰りに京都の惨状を垣間見た事を投稿して参ります。