7月2日に嵐山から太秦界隈を散策しましたが、其れから1ヶ月の時間を置いて大阪をブラブラと徘徊したいと思い、以前から訪れたいと願っていた金融街北浜の一角に或る神社を訪れました。
道修町の神農さんとして浪花の民衆から親しまれている薬を司る神様で、大国主命と二人して日本全国を旅した神様として古事記・日本書紀に記録されて居ます。
場所は、地下に大阪メトロが走行している堺筋通に面しおり、南の難波から堺筋を走行していると本町通と交差している辺りから銀行や証券会社ビルが軒並み連なり、其の集約地が北浜で在った。
北浜と申しても結構範囲が広く、北浜の中に在って神農さん(少彦名神社)が鎮座しており、何時の頃か周りが製薬会社が犇めき集合して薬の街として発展しました。
鳥居を少し潜ると谷崎潤一郎の名作「春琴抄」の碑が建っており、後で調べると彼の地こそが谷崎潤一郎が昭和8年道修町を舞台にして描いた春琴抄の碑です。
ビルの中・奥に神社が鎮座されており、狹い参道を歩いているとダラスケースが幾つか置かれ、其の中に薬の資料などが展示されて小さな博物館として演出されています。
参道を歩くと奥に在る社殿が見えて居り、紫色の垂れ幕が垣間見え、垂れ幕の端に寄進者の名前が染られ、其の名前を確認すると製薬会社で名の通った森下仁丹創業者一族から送られた物で有りました。
参拝を終えて外に退出し、法人化した神社が所有するビルの外観を撮影しました。
神社には、参拝者が多くは無いが途切れることなくポツリポツリと参拝に来訪者がお参りに見えて居ます。
神社ビルの斜め向かいに典型的な製薬に関わるビルが建っており、堺筋から御堂筋方面に広がるようにして製薬会社の軒並み林立しており、一社一社社名を目で追って見ていると結構名の知れた製薬会社が本社・支社・事業所が此の道修町に集まって居る事が判りますね。
参詣した証として、直接御朱印帳に記帳した御朱印一体と書置きの季節限定御朱印二体を拝受して行きは堺筋から此方へ参り、帰りは御堂筋方面にみ勝手製薬会社を目指しながら御堂筋に沿って帰路に着きました。
明日以降の投稿は、10月28日に八坂神社・知恩院にお参りした行き帰りに京都の惨状を垣間見た事を投稿して参ります。