近畿ブラ歩き

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令和元年7月25日 千本釈迦堂・千本ゑんま堂参詣 千本釈迦堂 大報恩寺

北野天満宮から途中上七軒歌舞練場を横にし、一度大通りまで出て、上七軒交差点で七本末通を西陣方面を向いて歩き、紆余曲折して千本釈迦堂 大報恩寺の参道まで辿り着きました。

 

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ヤット、此処まで辿り着きました。

 

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f:id:kinki-buraaruki:20200123152944j:plain大報恩寺 千本釈迦堂 本殿。

参道から本殿に入るまでに案内が何箇所か見えて居り、六道参りと書き添えられており、此方の大報恩寺と東山に在る六道珍皇寺が井戸を通じて繋がっている逸話が実しやか現在まで語り継がれており、或る一人の公卿の名前で何方も有名です。

参議(唐風で宰相と呼ばれて居る)小野篁卿が夜な夜な六道珍皇寺の井戸から冥府に赴き、十王(閻魔大王と九人の王)地獄の裁きを補佐することを閻魔大王直々に任じられ、冥府から出てくるときは大報恩寺の井戸から出てきたと逸話として残されて居ます。

 

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おかめ火男(ひょっとこ)の対面で有名なおかめが祀られて居り、おかめ(お亀・阿亀・お多福・阿多福)の顔が昔の基準で言えば美人顔の代表と言われた時期が在り、大報恩寺には、本堂を建てた大工の棟梁を助けたうえ命を絶った妻のおかめの伝説がある。そのため京都で棟上げ式を行うときおかめの面を御幣に付ける習慣がある。

 

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新・西国巡礼第十六番札所の御朱印を拝受しました。

 

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此方は京都十三佛巡礼第八番札所 本尊観世音菩薩の御朱印を拝受し、次の巡礼地千本ゑんま堂へ向かいました。