近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

梨園は皆親戚縁戚だらけ

昨日、ウィキペディアフランキー堺を検索していると、伴淳三郎に行き当たり、フランキー堺を芸能界の舞台に誘ったのが怪優伴淳三郎であり、タテヨコの繋がりは森繁久彌美空ひばりまで広がり、美空ひばりを検索すると戦後の銀幕を一世風靡した鶴田浩二と共演し、時代劇のあらしかんと共演して其処から時代劇の映画に多数出演している。 其処で東映は、美空ひばりと若い俳優を相手役に梨園から飛び出した播磨屋の四男坊中村錦之助を抜擢して東映時代劇で150作の映画出演を果たした。 其の中村錦之助が、美空ひばりの終生の伴侶として付き添い臨終を看取った。 実際は、20代で両想いで結婚寸前までで行ったが、諸般の事情で別れさせられ、結婚に至らなかったが。錦之助を通じて昭和のビッグネーム俳優らと交流あい、他業種の大物達とも交流の幅を広げていた。 錦之助の実家の家計を調べたら、祖父が中村屋十七世中村勘三郎(十八世は勘九郎の時代が長かったが、現勘九郎七之助の親と成る)が錦之助の叔父に当たり、錦之助の甥中村獅童の後ろ盾と成り、道筋を付ける因縁を曽祖父の頃まで遡って親戚で有ると言う大義と義理を果たす結果と成る。 又、初代中村吉右衛門も三代目中村歌六の次男で高麗屋初代松本白鸚の岳父で白鸚の次男を養子に迎えて家を存続させ、市川宗家とも縁戚関係を築く関係と成り、横の繋がりと縦の繋がりで何処かで繋がっている有様なのです。 梨園の殆どが親戚関係で繋がっているが、つい最近、二代目中村吉右衛門の息女と尾上菊五郎の子息尾上菊之助が結婚して又梨園の横の糸が繋がり、繋がっていない家と家が未だ四家程有る様だと梨園で言われています。 ホント何処で宿縁を得て繋がるか?人の出会いの不思議で有ります。