京アニ「たまこま~けっと」のモデルと成った出町枡形商店街の中継点には通りを横に交差する場所が在り、其の交差点のアーケード天井には大きな鯖の飾り物が吊るされて居ます。
何故、此の様な物が吊るされているかと不思議に思われる方が沢山居られますが、此の商店街が歴史の道の終着点に設定されて居るからでして、何処から始まっているかと言いますと、遥か若狭國小浜から鯖がトロ箱に入れられて京都まで運ばれて来たのです。
其の終着点が、出町柳として色んなん古書・出版物記されて居り、其の恩恵を被って京都では鯖の棒寿司と言う副産物も出来たみたいで、今も其の伝統が八坂神社前条通に在る老舗寿司店いづ重を始め多くの名店が伝統を受け継いでいます。
毎回、八坂神社へ参拝の折はいづ重さんの前を通るか、向かい側に通るときは店を一瞥して行きます。
先人は、若小浜を出発し、丹波街道は篠山街道・周山街道は終着地がJR京都駅辺りまで伸び、もうひとつのルートは若さ街道からは鞍馬街道・若狭街道(鯖街道)・西近江路の最終地出町柳が終着地点です。
其の証が、橋の傍らに標榜として建てられて居ます。
今は、鴨川も緩やかな流れを称えていますが、其後白河法皇が止められない物の代名詞して「山法師の横暴と、賽の出目と鴨の流れだけはどうしても止められない」と嘆かれていた事が今も語り継がれて居る程、鴨川は暴れ川だったので氾濫したときは其処で足止めを喰らっていたことが想像出来ますね。
最後に蛇足ですが、「鯖を読む」と言う諺が生まれた背景には、小浜から出発する際は鯖は足が早い(腐敗)魚なので木のトロ箱に詰め込む際は、十尾詰め込まれて一箱として数えられていたが、そんな悠長な出来ないので適当に八・九尾を大まかに掴んで箱に詰め込み急いで出発したので、其の光景を観ていた者が適当に詰め込んでいる作業を観て、「鯖を読む」と語った事が今も日常的に例えとして引用されていますね。