近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

太く短く生きた偉大な男達

先日、修業中に携帯を持たせられて居た時に不意に携帯を覗いたら中西太死去の訃報が配信されており、お袋から聞かされていた往年の名選手が逝った事を知りました。 経歴は、言わなくてもオールドファンなら誰しもが知って居る名選手であり、名将三原脩が集めた選手たちの大将格の一人で野武士軍団と称せられる一時代を築いた選手たちだった。 うちのお袋は、祖父が兵役で南方へ輸送している艦船の船長を勤めて居り、輸送中に敵に襲われて船諸共沈没させられて戦死したと聞かされており、女手一人で4人の子供を育てて4人の長女として育ち、女学生中に平和台で西鉄の試合を観戦してきていたのか良く其の当時の選手達の事を聞かされて居ました。 お袋の口からは、豊田泰光稲尾和久中西太の名前をよく聞かされ、其の当時の西鉄ライオンズが如何に凄かったのかは想像だにしておらず、野球に興味を持ち出して私が成人を過ぎた時から当時のプロ野球解説で往年の名選手稲尾や豊田が良く解説に出ていた事が記憶に残っていましたが、其処まで物凄い選手達で在っただったとは全然知りませんでした。 お袋の口からは、良く「神様・仏様・稲尾様」と言うキーワードがポンポン出てきて、一体どう言う意味なのかちんぷんかんぷんでした。 後年、インターネットで詳細を調べてみると、昭和32年から巨人相手に2年連続勝ち越して日本シリーズを連覇しており、3年目の3連覇を賭けた年に3連敗して窮地に立たせれて1日雨天で順延された時に奇跡が起こった。 稲尾和久が、先発・中継・抑えと八面六臂の大活躍をして敗勢から一挙に逆転して逆王手で4連勝を果たし、3年連続日本一を奪取した伝説を築いた往年の大選手でした。 稲尾和久豊田泰光中西太の3選手は、実労14、15年の選手生活を過ごし、西鉄ライオンズが輝いた黄金時代を支えた選手達で有り、僅か7年が物凄い個人成績を残し、体を酷使して選手寿命を縮めて現役を全うしました。 彼等を起用した三原脩にも選手を起用する哲学からして、一番輝く時期を逃さない起用を行ない、目に開かない花を例えて花を咲かせる時期を逸すれば咲かない事を見切り、其の一番歳時記に花を咲かせてやろうとして選手を起用した事が起因しており、晩年枕頭で余命幾ばく無い頃に稲尾和久が見舞いに訪れた時に、稲尾の選手生命を縮めた事を詫びた。其れでも笑い飛ばして一笑に付して逆に起用して頂いて有難かった中西太のノートに記述されていたとテレビで紹介されていた事に感嘆し感銘しました。 三原脩の教えを実践して名監督・名コーチとして名を残したのが仰木彬で有り、名コーチ・名参謀として名を残したのが中西太稲尾和久関口清治等で有り、其の人間性には誰もが感服して生涯師として仰がれた人物で有る。 今の選手達では、全く考えられない生き方を行ない、異論が出る事が間違いないと思われますが、果たして長く選手生活を過ごしてきても選手として名を残して大成出来る選手はひと握りで在って、殆どが何時の間にか消え去る事が多いプロ野球の中で燦然と輝く実績を短い選手生活の間に残して去って行った選手達です。 本当にお疲れ様です。偉大な先達でレジェンド(伝説)として名を残した選手に栄光有れ!