近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年7月18日太秦徘徊 天塚(てんつか)古墳に在った場所は狐憑きの結社でした。

前回、5月末に此方へ伺いたかったのですが、どうも大企業の工場の規模を見誤ったばかりに余計に時間が要して古墳ウォッチャーを断念せざる事に成り行程変更致しましたが、今回は前回の失敗を踏まえて回るコースを伺いつつ何処から入るか歩きながら進入路を探り、やっと古墳に近づく順路を探し当て、其処へ伺ったら何じゃそりゃと驚きました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210728201505j:plain

地図を片手に持って順路を探り当て、住宅地の奥に在る事が地図を見て伺われるので為るべく奥へと続く道を探って辿り着くと古墳と神社(稲荷社)が地図上に名前が並んで表記されていたので成程と何じゃそりゃと言うと発しました。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210728202024j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202047j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202106j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202142j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202207j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202218j:plain

此の天塚古墳は、一応前方後円墳の体裁を取っているが、周りは工場敷地を住宅地に囲まれて全容を掴みづらく、ホントボタ山に古墳があると言う様な感じでもう一つピンと来ない。

天塚古墳の謂書きには、近くに在る蛇塚古墳の事も合わせて記載されており、何方も前方後円墳で嵯峨野から太秦に分布する嵯峨野太秦古墳群中で大きな古墳で蛇塚古墳(全長110m)に次ぐ70mの大きさを有しており、6世紀前半に作られた秦氏の古墳です。

 

f:id:kinki-buraaruki:20210728202303j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728202320j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728203253j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728203320j:plain

f:id:kinki-buraaruki:20210728203347j:plain

小山に立ち入って伺う事が出来ますが入口が何処なのか解らず、余り立ち入るとマダニの被害に遭う事も有るの止めときました。

地図上では拍清神社と表記されて居ましたが、実は伏見稲荷の流れを汲む拍清稲荷大明神神社と表記されており、其れだけなら問題無かったのですが、階段を上がりきった時に人物の功績を讃える碑が建立され、お稲荷さんを祀る社が在るのかな思いましたが、建って居る物は木製の小屋みたいな建物でして、教会と書かれた鑑札が入口に掛けられ、何の協会なのか目を凝らして見ると狐を崇めつ講を結社しており、古墳の上にある場所が信者が集まる結社の協会だったのである。

ガラス越しに見ると古い使い古した大きな下駄と草履が玄関に置かれ、如何にも人が居そうな怪しい雰囲気を漂わせており、余り関わったらややこしい面倒事に巻き込まれるので教会と其れに関する物一切合切撮影を行う事を禁忌として取り止めました。

其れ故に匂わすような表題を使いました。

次回の投稿は、蛇塚古墳へ見学に伺おうと行路上また或る場所を通る事と成り覗いました。