蛤御門から退出してKBS京都の前を通って数百メートル離れた場所へ移動しました。
ほぼ見えて参りましたね。
足腰の守護神と体の良いキャッチコピーが記されて居ますが、此れは後付けの事でして、事の起こりは色ボケした時の女帝が怪しい破壊坊主?売僧に逆上せて国体どころか帝位も譲ろうなどと現を抜かす有様で、国を憂いた重臣達が謀って国の行く末を安じて人物に託した事が事の起こりです。
此の人物の名は和気清麻呂と申し、時の天皇称徳帝の御代に起きた国を揺るがす大事件で身命を賭して忠義に殉じようと宇佐八幡宮に馳せ参じた官人です。
国の行く末を託された和気清麻呂は、無事に宇佐八幡宮の託宣を受け取って都に舞戻り、ご信託に拠って称徳天皇と悪僧道鏡の奸計を葬り去り、譲位」を阻む事が出来ました。
其の後、称徳天皇からの意趣返しに拠る嫌がらせや冤罪に拠る流罪で困難を極めたが称徳天皇が崩御して都に召喚されました。
清麻呂が宝物を奉り宣命を読もうとした時、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣、宣命を聞くことを拒む。清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を聞くように願い出て、与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈3丈(約9m)の満月のような形をした大神が出現する。大神は再度宣命を聞くことを拒むが、清麻呂は与曽女とともに大神の神託、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」[4]を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告した。清麻呂の報告を聞いたは道鏡は怒り、清麻呂を因幡員外介に左遷するが、さらに別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させて大隅国への流罪とした(宇佐八幡宮神託事件)[5]。道鏡は配流途中の清麻呂を追って暗殺を試みたが、急に雷雨が発生して辺りが暗くなり、殺害実行の前に急に勅使が派遣されて企みは失敗したともいう
護王神社の鳥居が有る正面の塀には、和気清麻呂の生涯を絵物語で表して紹介されています。
余り枚数が多いので最初の所だけ抜粋して投稿しました。
神社の正面に回り、鳥居越しに門を撮影しました。
道の真ん中に車止めを兼ねたマニ車?の様な物が配置されて居ました。
いざ参内する前に神社の鳥居に掛けられた遍額・社表号・狛犬為らぬ阿吽の狛猪を一瞥し、門を潜る前に中の様子を眺めました。
お、既に入る前に拝殿に先客が居ました。
此方が手水舎ですが、大概は水の流し口に用いられている神獣は水に関する龍神もしくは亀・蛙・鯉になぞられて居ますが、此方は変わっていました。
護王神社の神使は狛猪にも成って居る猪で、神使が手水舎の流し口に用いられる事も儘有りますが、近場の岡崎公園に在る岡崎神社の兎なんかは知られて居ますね。
護王神社の絵馬堂も有名でして、本間(京間)畳の二畳分位の大きさが有り、大絵馬ランキンが有るのなら上位に食い込む大きさです。
拝殿で満身創痍で体中の軋む痛みを抱えてる近況を神前に祈り、祭神和気清麻呂公に越・膝・足首の古傷から来る苦痛の排除を祈願しました。
最後の映像は、京都の神社なら殆どの神社に在る神楽を舞う舞殿が備え付けられ、其の舞殿の右側面から回って境内を見回ると面白い場所を見付けました。
次回は、其の場所を投稿します。