The歴史①で投稿した門が、本当は表参道か?と疑問に思い、裏側から回ればお寺の景観ではなく神社を彷彿させる社殿が堂々と建てられて居り、神社の社務所と見紛うほど裏側から入って左側に入口が開けられていました。
実際、二条城のお堀挟んだ押小路側の表玄関から参詣したのですが、①の投稿で案内した宿泊旅館が全面に出ていたので、ふと其の様の錯覚を抱きました。
表門から入って旅館入りぐり横を通る小道から池の傍を通行して、一旦裏参道の入り口生活道路まで出て此の赤い太鼓橋を光景に撮影しました。
太鼓橋を渡り切ると、2羽の白いアヒルに迎えられ社殿に佇んで参拝しました。
神泉苑と言えば、此方の神様ですね!
僧 空海が、何度か此方で雨乞いを行ったと言う逸話が有りますが、調べてみると此の様な事が記されて居ました。
史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。また、『日本後紀』には、嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催した[1]とあり、これが記録に残る花見の初出と考えられている。
季節を問わずまたどんな日照りの年にも涸れることのない神泉苑の池には竜神(善女竜王)が住むといわれ、天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い、天竺の無熱池から善女竜王を勧請し空海が勝った。また空海以降も密教僧による雨乞いが何度も行われている。
料亭旅館と社務所じゃなく寺務所の間に、聖観世音菩薩を本尊に不動明王と弘法大師(空海)を祀ったお堂が創建されています。
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。境内に「恵方社」として「大歳神:歳徳神(としとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)。
次回の投稿は、此方で拝受した御朱印を並べて投稿致します。