近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和元年7月25日 千本釈迦堂・千本ゑんま堂参詣 釘抜地蔵 石像寺(しゃくぞうじ)

ゑんま堂 引接寺から退出して、千本通を今度は京都方面に向かう道側へ横断して200m強歩いて目指す釘抜地蔵 石像寺へ辿り着きました。

 

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千本通に面して正面からは、此の様に見えて居ます。

 

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お地蔵さんをご本尊にされている寺院特有の門構えを為しており、門の軒下に葡萄の房を連想させる様に沢山の提灯が吊るされて居ます。

 

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歴史

寺伝では空海弘法大師)により819年弘仁10年)に創建されたという[1]。当初真言宗寺院であったが、鎌倉時代に俊乗坊重源による再興を機に浄土宗に改宗され、慶長19年(1614年)西蓮社厳誉上人が再興したという[2]

地蔵堂の本尊は空海から持ち帰った石を刻んだとされている地蔵菩薩である。 この地蔵は苦しみを抜き取るということから苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ、それがなまって釘抜地蔵と呼ばれるようになった[3]

 

釘抜地蔵の伝説

「釘抜地蔵」のいわれについては、次のような伝説がある。室町時代の終わり頃、紀ノ国屋道林という商人がいた。彼は両手に激しい痛みを感じていたが、どんな治療を施しても効き目がなかった。そこで霊験あらたかな石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、満願の日の夢に地蔵菩薩が現れた。地蔵菩薩は「お前の苦しみの原因は、前世において人をうらみ、呪いの人形(ひとがた)を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにある」と告げ、呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。道林が夢から覚めると、両手の痛みはすっかり消えていた。そして、石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった2本の八寸釘が置かれていたとい。

 

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此方が、釘抜地蔵が安置されて地蔵堂でして、何故御朱印抜きで参詣したかと申しますと、此処数年悪しき行いを行う邪な輩が増えている為、お寺が取った邪な連中に何も言わせぬ様な措置を取った事が、返って御朱印を懇願している参詣者の足を遠のかせて居るのが現状でして、私が訪れた時は一人の参拝者が地蔵堂をグルグル廻る様にしてお百度を踏んでいる光景を嫌でも目にする事に成りました。

御朱印を拝受する条件として、参詣者には絶対お百度参りを修行として科す遣り方此処数年来実践されています。

 

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そして此方が、お百度参りを行うお堂です。

是れにて7月25日の巡礼記を終えます。

次の投稿は、4が月間を開けて12月11日に北大路界隈をブラ歩きして最後は弘法大師縁の神泉苑を参詣を投稿して参ります。