近畿ブラ歩き

近畿の名刹、名所、催しを見聞するブログ

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 知恩院参道口

明智光秀の(首?)塚から柳並木を愛でて更に先に行けば、「嗚呼、此処に出てくるのだなぁ。」と得心しました。

 

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以前、此の門から潜り抜けて辰巳明神が在る白川花街まで辿り着きましたが、此の門の先には国宝に指定されて居る華頂門と言う巨大な山門が聳えており、其の華頂門の前を真っ直ぐに通って居るので華頂道と呼ばれて居ます。

此の後に以前通った道の映像も出てきますのでご覧下さい。

 

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門を潜ると右手に白川が在り、其の下は憩いの場として休憩が出来るスペースが有って映像の様に腰掛けて寛ぐ姿が拝見出来ます。

 

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前の御仁が邪魔して門の先が見えなかったですが、映像をお借りして補足しました。

此の三門の下に徳川家の三つ葉葵御紋を付けた賽銭箱らしき物が置かれており、浄土宗総本山知恩院徳川家康・秀忠・家光三代から厚く帰依を受けており、秀忠の愛娘千姫が此方の知恩院で得度を受けたとされています。

 

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この映像が、以前この道を通って洒落たスナック喫茶の映像を投稿した場所です。

 

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今一度振り返り、門の先を覗くと長く続く道の先に視点を合わせた先が華頂門の屋根が見えて居ます。

華頂道を横切って八坂神社方面に向かおうとすると、目が釘付けに為る位驚く光景を目にしました。

まぁ、其の場所自体は大した事がないが、何でと言う位眺め目にした驚きを投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 白川の眺め

光秀の塚を拝見し、今度は昼食を摂る場所(八坂神社横)までだんだん近付いており、今まで存在は知っていたが余り通りたいとは思わなかった場所を意識して橋を踏みしめて渡り、辺りを様子を眺めて居ます。

 

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周りの余計な物を省いたら花札に出てくる情景に似ていますね。(笑)

 

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欄干も無い小さな歩幅の狹い橋の上から眺めを撮影しています。

 

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柳の直ぐ傍で寄り添う様にして建てられて居る見えるか見えないかの案内標識です。

意識して見なければ、中々気付かないと思いますよ!

 

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是れが、人一人通れる幅の橋でして、無理して通れば二人通れますが、誰が危険を犯すリスクを推して渡るのか?

もし居れば、本当の愚か者たちですね。

幾ら川が浅いからと言っても、雨天明けの川は増水しているので体ごと持っていかれる事間違いなしですよね。

 

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この道を行くと、在の場所に出るのかと得心しました。

次回は、或る場所の入口周辺を投稿致します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 明智光秀の塚

坂本龍馬・お龍の結婚式場跡から十数m歩くと三条通と白川が交わる場所が在り、其処を直ぐ左折すると人通りが少なくなり川沿いに或る案内標識が建てられて居るのを一目見て其処へ訪ねました。

 

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白川の両岸に柳が植えられており、是れが知恩院の門前口まで続いて居ます。

この映像で1軒の和菓子屋が写っていますが、此の和菓子屋の横に通り道と言う拠りも辻と言っても良いくらい短い道が在ります。

 

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是れが和菓子屋横にある辻で、少し先に行くと途中で分かれており、其の左側に怪しい場所が存在します。

 

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脇道の傍まで近付くと建鑑札が建てられて居り、謂れ書きが添えられて居る様です。

 

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何が書かれて居るかと申しますと、山崎の合戦に於いて敗れ去って山科まで落ち延びると、其の場所で落ち武者刈りに遭い光秀が討たれ、光秀の首を死守する為に落人狩りから家臣が逃げ延びて此方に埋めたのが塚の始まりだと書き記されています。

 

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私以外でも先に塚に詣でに来る者が居たのが驚きでした。

底には「麒麟が行く」の番宣の案内も貼られていたので此処を訪れて欲しいと地域が望んでいると汲み取りました。

次回は、白川の眺めを投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 東山ユースホステル跡(坂本龍馬・お龍結婚式場跡)

神宮道交差点を青信号で向こう側に渡り、京阪電鉄三条駅方面に向いて歩いて行くと其処は以前東山ユースホステルが2011年3月まで営業していたが、今は建物を立て替えて賃貸マンショ「パークウォーク京都東山」として翌年3月に営業され、今年で11年目を迎えました。

昔のユースホステルの面影は全く有りませんが、当時も坂本龍馬・お龍結婚式場跡の石碑が立っており、取り壊し後に賃貸マンションとして生まれ変わった場所に新たに以前と同じように石碑を立て直しました。

 

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此の上記の映像は、今年3月に撮影した状況です。

下記の映像は、12年前の映像を媒体から借用させて頂きました。

 

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本家本元の坂本龍馬とお龍のフォトです。

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2010年NHK大河ドラマ龍馬伝」 福山雅治真木よう子

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2018年Nhk大河ドラマ西郷どん」 小栗旬水川あさみ

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確かの東山ユースホステルの表側は、此の様なガラス窓が在り、上の龍馬夫妻の顔写真が窓に飾られて居ました。

最終営業から既に11年の年月が過ぎたのですね。

私も何度もこの前を通って蹴上げクランクインや平安神宮哲学の道を散策する時にユースホステル前を通りましたが、今も此処に二重の歴史が在ったとメモリアルとして石碑が建て替えられて今も時を紡いでくれています。

次回は、去年のNHK大河ドラマ主人公の足跡を残した或る場所を紹介致します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 壁画

阿含宗関西総本部から遠ざかり、今度は三条通から祇園まで出ようと思い神宮道と三条通の交わる交差点を信号待ちし、道路を横断しようとしたらビルの壁に般若面の壁画が壁に施されていた。

 

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信号待ちしようと交差点まで行こうとしたら、向かい側のビルの壁に大きな般若面を模した壁画が浮き上がっているのですね。

 

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 此の交差点を真っ直ぐ行けば、青蓮院、知恩院に行き着き、知恩院の駐車場バスターミナルの在る敷地内には円山公園に隣接する門まで行き着けます。

又、左を伺えば蹴上に行き着き、どん突きを左折すれば蹴上げクランクインに至りますが、私は右折をして京阪三条駅方面に足を向けて歩き、途中何度も或る場所の所在を確認して白川を面した場所を左折して滅多に通らない場所を訪れましたが、其の前に或る場所を紹介します。

次回は、明治維新の夢なかばで逝った1人の英雄が、此の地で伴侶となった女性と式を挙げた場所を投稿します。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 宗教法人阿含宗関西総本部

仁王門通と神宮道の交差する交差点一角に位置するコンビニストアーセブンイレブンを横目に神宮道を南下すると、関西では馴染みの在る宗教法人阿含宗の関西総本部が左手に見えてきます。

 

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此方の宗教法人阿含宗は、毎年1月からテレビCMで「炎の祭典阿含の星祭」と謳って護摩行の仏事を大々的に行う特異の仏教法人です。

 

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信者が沢山駆けつけ、東山の山中で大規模の会場を設営し、写真の通り大きな護摩壇を設けて信者から願掛けの護摩木を炊く荒行を毎年行い、大きく燃え上がった炎が紅蓮に包まれた不動明王に見えると言われて居ます。

真偽の程は、サッパリ解りません?(笑)

 

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関西総本部の建物の壁に数枚の写真額が掲げられ居ます。

何と紛らわしい場所に阿含宗の道場が在るのですか?

この場所は、西国三十三観音霊場中興の祖花山天皇(藤原氏の騙し討ちで強制得度させられて法王)が落飾させられた御寺が此の道場の近くに在り、元慶寺と呼ばれて番外札所として巡礼地とされています

阿含宗関西総本部から少し移動したら、神宮道と交わる三条通の交差点前の建物に面白い物を見付けましたので次回の投稿とします。

令和3年3月26日京都いけずな旅探訪Ⅱ 観光の要衝セブンイレブン神宮店

平安神宮から粟田口に入り、セブンイレブンの真横を南下するようにして通る神宮道を行くと青蓮院・知恩院円山公園、八坂神社、高台寺、三年坂、清水寺へと順に訪ねる事が出来、セブンイレブン平安神宮を分ける仁王門通を東進すると蹴上げクランクイン、南禅寺永観堂に至り、更に哲学道の入口に入り、若王子熊野神社から後水尾天皇が晩年過ごした岡御所霊巌寺から安楽寺法然院慈照寺(銀閣寺)へ至り、白川通に出ればバスに乗車して上賀茂神社や洛北方面位でる事が出来ます。

又、セブンイレブンから西へ少し出ると東大路から京都駅方面、反対に行けば北大路に出ててバスターミナルから乗り換えれば嵐山方面へ行く事が出来ます。

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本当に見晴らせる良い場所に店舗が建てられて居り、何人も少し疲れたら其処で冷たい物や暖かい物を買い込んで、店舗の外に縁台を何基も於いて来店客を持て成してくれます。

 

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此の日も良く晴れて暖かい日で在ったので汗が滲み出て、冷たいものが欲し感じる日で在った。

私もこの日は、此処ではなく目に付いた自販機で何本もお茶屋ペット簿取り飲料を買い込んで飲んでいましたね。

此方へ訪れた来訪者たちは、主に蹴上げクランクインの桜並木を愛でに来て、体力があれば南禅寺から永観堂を経て哲学に道へ雪崩込む予定を目論む猛者たちも居り、私も其の中の一人で有りました。

経路は違えど、神宮丸太町から祇園四条まで実際に5km以上歩きました。

次回は、神宮道の通りに或る新興宗教の本部が在る前を通り、周辺を撮影したので投稿します。